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Person / 人

ニッコロ・マキャヴェッリ

Niccolò Machiavelli
AD1469年5月3日 – AD1527年6月21日(享年58)
フィレンツェ共和国重要度 5

概要

フィレンツェ共和国の第二書記局長。14年、外交使節としてフランス王、皇帝、教皇、そしてチェーザレ・ボルジアに会った。市民軍を組織した。1512年、メディチが復帰して失職、翌年、陰謀の嫌疑で拷問(吊し責め6回)を受け、釈放されて郊外へ。『君主論』『ディスコルシ(ローマ史論)』『戦術論』『フィレンツェ史』、そして喜劇『マンドラゴラ』。共和主義者が書いた君主の本、という矛盾が、500年、読まれ続ける理由になった。

関わったできごと(1)

マキャヴェッリ『君主論』AD1513年 · 書いた

本文

1469年5月3日、フィレンツェ。父ベルナルドは法律家(借金の未払いで公職に就けず、貧しかった)。父の日記が残っていて、息子のために本を借り、借りた本の索引を作る仕事と引き換えにリウィウスの『ローマ史』を手に入れたことが記されている。息子は、その本を生涯読み続けた。

1498年、29歳。サヴォナローラが処刑された年、共和国の第二書記局長になった(前任者が失脚した後)。任務は、内政の文書と、外交と、軍事。以後14年。

外交の旅。フランス王ルイ12世(3度)、皇帝マクシミリアン1世、教皇ユリウス2世、そしてチェーザレ・ボルジア(1502年、ロマーニャで数か月、そばで見た。チェーザレが、自分の部下レミロ・デ・オルコに残酷な統治をさせ、民の憎しみが集まったところで、その部下を広場で二つに切って晒した。「民は、満足すると同時に、呆然とした」。マキャヴェッリはこれを『君主論』第7章に書いた)。

軍。フィレンツェは傭兵に頼っていて、負け続けていた。彼は市民軍(オルディナンツァ)を提案し、1506年に実現させ、自分で農村を回って徴募した。1509年、ピサを奪回した。1512年8月、その市民軍が、スペインの職業軍にプラートで潰された。市民は虐殺された。共和国が倒れ、メディチが戻った。

1512年11月、罷免。1513年2月、陰謀の名簿。拷問。恩赦。農場へ。

1513年、『君主論』(初め『君主国について』De Principatibus)。同じ頃から、『ディスコルシ(リウィウスの最初の十巻についての論考)』を書き始めた(1517年頃完成)。

『ディスコルシ』は、共和政の本である。「人民は、君主より賢明で、恒常的である」。「共和国が長く続くのは、対立があるからだ。ローマの平民と貴族の争いこそが、自由を守る法を生んだ」。混合政体。市民の徳(ヴィルトゥ)。宗教の政治的な効用(そして、キリスト教が人を柔弱にした、という批判)。

同じ人が、同じ時期に、君主に権力の取り方を教える本と、共和政を讃える本を書いた。矛盾か、それとも、「イタリアの現状では、まず強い君主が統一し、その後で共和政へ」という順序の話か。500年、議論されている。

その他。『戦術論』(1521年。生前に刊行された唯一の政治的著作)。『フィレンツェ史』(1525年、メディチ家の依頼で。教皇クレメンス7世に献じた)。『マンドラゴラ』(1518年頃の喜劇。老いた法学者の若い妻を寝取るための策略。当時のイタリア喜劇の最高作とされる。彼の政治の見方が、笑いの形で出ている)。『カストルッチョ・カストラカーニの生涯』。

私生活。妻マリエッタと6人の子。娼婦と旅役者と手紙をやりとりし、友人ヴェットーリと猥雑な文通をした。

晩年。1520年から、メディチ家の依頼を受けるようになった(フィレンツェ史、そして城壁の視察)。1526年、教皇の軍が神聖ローマ皇帝軍に敗れ、1527年5月、ローマ劫掠。同じ月、フィレンツェでメディチが追われ、共和政が復活した。

彼は、共和国の書記官の職に応募した。落ちた。「メディチに仕えた男」と見られていた。

その1か月後、1527年6月21日、腹痛で死んだ。58歳。サンタ・クローチェ聖堂。18世紀に建てられた墓碑に、ラテン語で刻まれている。「いかなる賛辞も、この名に及ばない(Tanto nomini nullum par elogium)」。

受容。1532年、死後5年で『君主論』刊行。1559年、教皇庁の禁書目録。イギリスでは、エリザベス朝の劇に「マキャヴェル」が悪役として登場する(マーロウ『マルタ島のユダヤ人』の序に、彼自身が幽霊として出てくる)。フリードリヒ大王は皇太子時代に『反マキャヴェッリ論』を書き(ヴォルテールが手を入れた)、王位に就くとその通りには振る舞わなかった。ルソー、ヘーゲル、グラムシ(獄中で「現代の君主=党」を考えた)、そしてキッシンジャー。

「政治を、道徳から切り離して、そのものとして見た最初の人」。その評価が、賞賛と非難の両方に使われ続けている。

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