概要
ベルリンの壁の崩壊とドイツ統一の直後。ドイツを、通貨を手放させることでヨーロッパに縛る、というミッテランの計算と、コールの決断。欧州共同体(EC)が欧州連合(EU)になった。単一通貨、共通の外交と安全保障、司法と内務の協力。EU市民権。デンマークが国民投票で一度否決し、条件をつけて通した。2002年、ユーロの紙幣と硬貨が12か国で流通した。
場所
50.85°N 5.69°E · オランダ
本文
1989年11月9日、ベルリンの壁。1990年10月3日、ドイツ統一。
ミッテランとサッチャーは、統一に不安を持った。人口8000万の、ヨーロッパ最大の経済を持つ国が、中央に戻る。サッチャーは反対し、ミッテランは条件を出した。「ドイツは、マルクを手放して、ヨーロッパの通貨に入る」。コールは受け入れた。彼自身、ドイツをヨーロッパに埋め込むことが、統一を認めさせる代償であり、また自分の信念でもあると考えた。「ドイツの統一とヨーロッパの統合は、同じコインの裏表だ」。
1991年12月9〜10日、マーストリヒト(オランダ南端の、ドイツとベルギーの国境の町)。欧州理事会。1992年2月7日、調印。
三本の柱。(1)欧州共同体(EC。経済、単一市場、そして通貨同盟)。(2)共通外交・安全保障政策(CFSP)。(3)司法・内務協力(後の警察と刑事の協力)。この三つを合わせて「欧州連合(EU)」。
通貨。3段階。1994年、欧州通貨機構。1998年、欧州中央銀行(フランクフルト)。1999年1月1日、11か国で会計上の単位としてユーロが発足(為替レートを固定)。2002年1月1日、紙幣と硬貨。12か国、3億人が、財布の中身を入れ替えた。
参加の条件(収斂基準)。財政赤字はGDPの3%以内、政府債務は60%以内、物価と長期金利と為替の安定。イタリアとベルギーは債務が100%を超えていたが、「減少傾向にある」として入れた。ギリシャは2001年に加わった(後に、統計を実際より良く見せていたことが分かった)。
EU市民権。加盟国の国民は、EU市民でもある。他の加盟国で居住し、働き、地方選挙と欧州議会選挙で投票し、立候補できる。EU域外で自国の大使館がなければ、他の加盟国の大使館の保護を受けられる。
補完性の原理。決定は、可能な限り市民に近いところで行う。EUが動くのは、加盟国では十分にできないことだけ。
抵抗。デンマークは1992年6月2日の国民投票で否決した(50.7%対49.3%)。4つの分野(通貨、防衛、司法、市民権)で適用除外を得て、1993年5月に再投票で可決。フランスは1992年9月、51.05%でぎりぎり可決(「小さなウィ」)。イギリスは、通貨と社会憲章から離脱する権利(オプトアウト)を得て批准した。ドイツでは憲法裁判所に訴えが出て、1993年10月に合憲判決が出るまで、批准が止まった。
1993年11月1日、発効。
その後。1995年、シェンゲン協定の実施(域内の国境検査の廃止。マーストリヒトとは別の枠組みで始まって、1999年にEUに組み込まれた)。1995年、オーストリア・スウェーデン・フィンランドが加盟(12→15)。2004年、中東欧など10か国(15→25)。2007年、ブルガリアとルーマニア。2013年、クロアチア(28)。2009年、リスボン条約。2009〜15年、ユーロ危機(ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペイン、キプロス)。2015年、難民。2016年6月23日、イギリスの国民投票。2020年1月31日、離脱(28→27)。
マーストリヒトの町の、条約が署名された建物(旧知事公邸)の壁に、銘板がある。2016年、その町の市長は言った。「私たちは、この条約の名前が、良いことと悪いことの両方の代名詞になったことを知っている」。