ウサーマ・ビン・ラーディン
概要
サウジアラビアの建設業の富豪の子。50人以上の兄弟の一人。1980年代、アフガニスタンでソ連と戦う義勇兵に金と組織を提供した。1988年、アル・カーイダ(基地、名簿)。1990年、湾岸戦争でアメリカ軍がサウジに駐留したことを、聖地への冒涜として憎んだ。スーダン、そしてアフガニスタンのタリバンの下へ。1998年の大使館爆破、2000年のコール号、2001年の9・11。2011年5月2日、パキスタンのアボッタバードの家で、米海軍特殊部隊に撃たれた。遺体は海に沈められた。
関わったできごと(1)
9・11同時多発テロAD2001年9月11日 · 計画した本文
ウサーマ・ビン・ラーディンは1957年3月10日、サウジアラビアのリヤドで生まれた(生年には1958年説もある)。父ムハンマド・ビン・ラーディンはイエメン南部ハドラマウトから出稼ぎに来た労働者で、身一つから建設会社を起こし、サウジ王家の宮殿やメッカ、メディナの聖モスクの改修を請け負って国内有数の富豪になった。生涯に20人を超える妻を迎え、50人以上の子をもうけた。ウサーマはそのうち17番目前後の息子とされる。母はシリア出身で、ウサーマが幼いうちに父と別れ、別の男性と再婚した。父は1967年、ウサーマが10歳の頃に飛行機事故で死んだ。

ジェッダで育ち、キング・アブドゥルアズィーズ大学で経済や経営を学んだ。この時期にイスラーム主義の思想に深く触れた。大学には、エジプトの思想家サイイド・クトゥブの弟ムハンマド・クトゥブや、パレスチナ出身の説教者アブドゥッラー・アッザームが教えに来ていた。ムスリム同胞団の結成の流れをくむ彼らの思想は、イスラーム世界の政治と社会を根本からやり直すべきだと説いた。
転機は1979年12月のソ連のアフガニスタン侵攻だった。無神論の超大国がムスリムの国に攻め込んだことに、アラブ世界の若者が反応した。ビン・ラーディンはパキスタンに渡り、アフガニスタンでソ連と戦うために集まったアラブ人義勇兵を支援した。1984年頃、アッザームとともにペシャワールに「奉仕事務所」を開き、義勇兵の渡航、宿舎、訓練の資金を出した。家業の重機を持ち込んで道や地下壕を造り、1987年にはアフガニスタン東部のジャジで自ら戦闘にも加わった。米国とサウジアラビアはアフガン人の抵抗勢力に巨額の資金を流したが、その多くはパキスタンの情報機関を通じて配られた。ビン・ラーディンが米国から直接援助を受けたことを示す証拠は見つかっていない、というのが多くの研究者の見方である。

1988年、彼は側近とともにアル・カーイダ(「基地」の意)を結成した。当初は義勇兵の名簿と人脈を保ち、次の戦いに備えるための組織だった。翌年アッザームが爆殺され、その後、組織はエジプトのジハード団出身のアイマン・ザワーヒリーらとの結びつきを強めていく。
1990年8月、イラクがクウェートに侵攻した。ビン・ラーディンはサウジ王家に、アフガニスタン帰りの義勇兵で国を守ると申し出たが、王家はこれを退け、米軍を中心とする多国籍軍を国内に迎えた(湾岸戦争)。50万を超える非ムスリムの兵が、メッカとメディナを擁する国に駐留した。彼はこれを聖地への冒涜とみなし、その怒りが以後の行動の芯になった。王家への批判を強めた彼は国を出てスーダンに移り、道路建設や農園を営みながら組織を広げた。1994年にサウジ国籍を剥奪され、1996年、米国とサウジの圧力でスーダンからも追われると、アフガニスタンに戻ってタリバン政権の庇護を受けた。

1996年8月、彼は米国への「宣戦布告」を出し、1998年2月には、米国人とその同盟者を殺すことはすべてのムスリムの義務だとする声明を発した。同年8月7日、ケニアのナイロビとタンザニアのダルエスサラームの米大使館が同時に爆破され、224人が死んだ。犠牲者の大半は現地のアフリカの人々だった。米国はアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃した。2000年10月にはイエメンのアデン港で米駆逐艦コールが自爆攻撃を受け、乗員17人が死んだ。
そして2001年9月11日、乗っ取られた旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防総省に突入し、約3000人が死んだ(9・11同時多発テロ)。翌月、米国はアフガニスタンへの攻撃を始め(アフガニスタン戦争)、タリバン政権は崩れた。ビン・ラーディンは12月、東部のトラボラの山岳地帯から追跡を逃れ、以後10年近く姿を隠したまま、ビデオや音声で声明を出し続けた。

2011年5月2日未明、パキスタン北部アボッタバードの高い塀に囲まれた家を、米海軍の特殊部隊がヘリコプターで急襲した。陸軍士官学校から遠くない町の一角だった。彼は家の上階で撃たれて死んだ。54歳。遺体は米軍の艦上からアラビア海に葬られた。墓が支持者の巡礼地になることを避けるため、と米国は説明した。
彼の死で、彼が始めたものは終わらなかった。アル・カーイダは各地の支部に分かれて生き残り、2003年のイラク戦争のあとイラクで生まれた分派からは、やがて「イスラム国」の台頭が育った。9・11の後に始まったアフガニスタンでの戦争は20年続き、2021年、米軍の撤退とともにタリバンが政権に戻っている。