モアの絶滅
概要
飛べない鳥の9種すべてが、人の到着から一世紀ほどで消えた。人類が最後に着いた大きな島で、同じことが三度目に起きた。
場所
-41.29°N 174.78°E · ニュージーランド
本文
アオテアロア(ニュージーランド)は、8000万年以上前に大陸から離れ、長いあいだ海に隔てられてきた島々だ。コウモリを除けば、陸に住む哺乳類はいなかった。獣のいない土地で、獣の役目を果たしたのは鳥たちだった。地面で草や木の葉を食べる大型の鳥、それがモアである。
モアは9種いたとされる。小さいものは七面鳥ほどだったが、最大の種の雌は、首を伸ばすと3メートルを超える高さの木の葉に届き、体重は200キロを超えた。雌は雄よりはるかに大きく、そのために同じ種の雄と雌の骨が、長いあいだ別々の種と考えられていたほどだった。モアには翼が全くなかった。飛べない鳥の多くには小さな翼の名残があるが、モアにはその骨すら残っていない。遺伝子の研究によれば、最も近い親類は、オーストラリアのエミューやヒクイドリではなく、南アメリカに住む、飛ぶことのできる小さな鳥シギダチョウの仲間だという。

モアを狩る者もいた。翼を広げると3メートル近くになる、史上最大級の鷲、ハーストイーグルである。森の上から舞い降り、巨大な爪でモアの骨盤を砕いて仕留めたとみられている。モアにとって、敵は空から来るものだった。
13世紀の後半、東ポリネシアの島々から、航海カヌーに乗った人々がこの島にたどり着いた(アオテアロアへの到達)。ポリネシアの人々が広げてきた太平洋の世界の、最後の大きな陸地だった(ポリネシア三角形の完成)。のちにマオリと呼ばれる人々の祖先である。彼らは犬と、ポリネシアのネズミを連れてきた。

最初に住みついた人々にとって、モアは巨大な食料の蓄えだった。南島の北東、ワイラウ・バーの初期の集落の跡からは、モアの骨と、穴をあけて中身を吸い出した卵の殻が数多く見つかっている。南島の東海岸の川の河口には、何千羽ものモアを解体した跡が残る場所もある。肉だけでなく、骨は釣り針や装身具に、羽は衣に、卵の殻は水の入れ物に使われた。人々はモアを「狩る」というより、待ち伏せして囲み、次々に仕留めたのだろう。モアは人を恐れることを知らなかった。
モアは、人の狩りに耐えられる動物ではなかった。骨の断面に残る成長の跡を調べると、モアは大人の大きさになるまでに何年もかかり、大型の種では10年近くかかったとみられている。産む卵も一度に一つか二つと少ない。成鳥を少しずつ狩られ、卵を集められ、人が連れてきた犬やネズミに雛や卵を襲われれば、数は回復できない。森を焼いて開いたことも、住む場所を奪った。

放射性炭素による年代の測定を積み重ねた研究によれば、モアは人が着いてから100年あまりのうちに、9種すべてが姿を消した。15世紀の半ばには、最後のモアが死んだとみられている。人が着いたときのモアの数は、数万羽から数十万羽まで見積もりに幅があるが、当時の人の数は多くても数千人にすぎなかった。それほど少ない人数でも、一つの世紀のうちに巨大な鳥を滅ぼしえたのである。モアを主な獲物にしていたハーストイーグルも、獲物と一緒に消えた。このとき、ほかにも何十種もの鳥がこの島々から消えている。
モアがいなくなると、人々の暮らしも変わった。海辺で魚や貝をとり、サツマイモの一種クマラを育て、シダの根を掘って食べるようになった。人々の暮らしの中心は、狩りから畑と漁へと移り、やがて丘の上に砦を築く社会が生まれていく。マオリの言葉には「モアのように消えてしまった」という言い回しが残っている。

1839年、イギリスの解剖学者リチャード・オーウェンは、ニュージーランドから送られてきた一本の骨のかけらを調べ、これは巨大な飛べない鳥のものだと発表した。ヨーロッパの人々がモアの存在を知ったのは、絶滅から400年近くたってからだった。
『サピエンス全史』(物語「『サピエンス全史』で読む歴史」)は、人類が新しい土地に着くたびに大型の動物が消えていったことを論じ、オーストラリア(オーストラリアの大型動物の絶滅)、アメリカ大陸(アメリカ大陸の大型動物の絶滅)に続く例として、ニュージーランドのモアを挙げている。オーストラリアやアメリカでは、何万年も前の出来事であり、気候の変化が原因だという反論も根強い。だがニュージーランドでは、人が着いたのがわずか700年あまり前で、その前後に大きな気候の変化はなく、人の到着と絶滅のあいだの時間が短い。人が原因だったことを最もはっきり示す例と言われるのはそのためだ。同じことは、のちにインド洋のモーリシャス島でも繰り返された(ドードーの絶滅)。