概要
チャコ・キャニオンの谷底に、石を積んだ4階建て、部屋650、大キヴァ(円形の儀礼の部屋)3つ。木材20万本を80キロ先の山から運んだ(馬も車輪もなく、人が担いだ)。谷から放射状に、幅9メートルのまっすぐな「道」が何百キロも延びる。人はあまり住んでいなかった、と考えられる。巡礼と再分配の中心。1130年からの50年の旱魃で、放棄された。
場所
36.06°N -107.96°E · アメリカ・ニューメキシコ州
本文
ニューメキシコ北西部、標高1900メートルの乾いた谷。チャコ・キャニオン。雨は年に230ミリ。木はほとんどない。ここに、9世紀から12世紀、プエブロの人々(アナサジ、いまは「先祖プエブロ人」と呼ぶ)が、石を積んだ巨大な建物を12以上、建てた。
プエブロ・ボニート。「美しい村」(19世紀のメキシコ人の呼び名)。850年頃から300年、増築され続けた。D字形。北の崖を背に、弧を描いて外へ広がる。4〜5階、部屋約650、キヴァ(円形の半地下の儀礼の部屋)32、大キヴァ3。壁は、砂岩の薄い板を、目地の模様を変えながら積んだ「中核と化粧」の技法。梁は松と樅とトウヒ。20万本以上。年輪の分析で、80キロ以上離れたチュスカ山地とサン・マテオ山地から運ばれたと分かった。馬も車輪も牛もない。人が担いだ。1本300キロの梁を。
人はあまり住んでいなかった。竈の数、ゴミ捨て場の量、埋葬の数(プエブロ・ボニートで発見された埋葬は約130体)。部屋650に対して、常住は数十人から数百人。建物の多くは倉庫だった。
「道」。谷から放射状に、幅9メートルの直線が、丘を切り、崖に階段を刻んで、何十キロも延びる。全部で数百キロ。荷車のない社会が、なぜ幅9メートルの道を作ったのか。巡礼の道、と考える人が多い。
出土品。トルコ石(数十万点。100キロ以上離れた鉱山から)、貝(カリフォルニア湾)、銅の鈴(メキシコ)、そしてコンゴウインコ(メキシコ中部から1500キロ。羽が儀礼に使われた)。ココアの残る土器(メソアメリカのカカオ。2009年に化学分析で分かった。中米との交易)。
第33号室。埋葬14体。うち2体は、5万点以上のトルコ玉と貝の副葬品と共に。2017年のDNA分析で、9世代にわたって、母系でつながる同じ家系だと分かった。「王朝」がいた。
太陽と月。ファハダ・ビュートの岩の隙間に、夏至の正午、光の短剣が渦巻きの中心を刺す(1977年、アンナ・ソファーが見つけた。「サン・ダガー」)。大きな建物の壁が、夏至冬至と、月の18.6年の周期の出没に向いている。
1130年、旱魃が始まった。50年続いた(年輪で分かる)。建築が止まり、人が出て行った。1200年代、メサ・ヴェルデの崖の住居へ、それから南のリオ・グランデとホピの台地へ。いまのプエブロの人々とホピとズニとナヴァホは、それぞれ、チャコを自分たちの祖先の場所として語る。
暴力の跡もある。人骨に、解体と、火にかけた跡(人肉食か、あるいは処罰の儀礼か。論争がある)。
1907年、国定公園。1987年、世界遺産。夜、この谷は北アメリカで最も暗い場所の一つで、天の川が地面に影を落とす。