物語

『武士の家計簿』で読む幕末

出てくるできごと AD1603 – AD1871
できごと 5人物 1国 1
この物語に出てくる図版:天保の大飢饉
この物語に出てくる天保の飢饉から。天保の大飢饉 Wikimedia Commons Watanabe Kazan · Public domain

概要

加賀藩の会計係の家が、37年つけた家計簿が見つかった。武士は、思われているよりずっと借金に苦しんでいた。

この物語について

武士は、本当に誇り高く、金に恬淡とした人々だったのか。刀を差した人々の財布の中身をのぞくと、幕末と明治はどう見えるのか。

『武士の家計簿』(磯田道史、2003年)は、古書店で見つかった一束の帳面から始まる。加賀藩の御算用者、猪山家が幕末から明治にかけて37年つけた収支の記録になる。御算用者とは、藩の財政の帳簿を預かる会計の役人である。1842年から1879年まで、米と銭の出入りが一文単位で書き込まれていた。給与の受け取りや借金の返済だけでなく、日々の細かな買い物や、贈り物のやりとりまでが記されている。著者はこれを、神田の古書店の目録に見つけて買い求めたという。

加賀藩は百万石を超える、全国で最大の藩だった。江戸幕府の成立のもとで、武士の身分と収入は石高という米の量で表された。猪山家のような下級の藩士は、藩から決まった量の米を受け取り、それを売って暮らしの銭に替えた。家の格に応じた収入は、代々ほとんど変わらない。変わるのは、出ていく金のほうである。

江戸時代の半ばを過ぎると、武士の家計はどこでも苦しくなっていた。収入は米で決まっているのに、町の暮らしは銭で回り、物の値は上がっていく。財政に困った藩の多くは、藩士の俸禄の一部を「借り上げ」と称して削った。武士は、受け取る米を担保に商人から金を借りるようになる。江戸では札差と呼ばれる商人が、旗本や御家人の米を換金し、同時に金を貸した。幕府は1789年に旗本の借金を帳消しにさせる法令を出し、1840年代の天保の改革でも、借金の返済を無利子の年賦に切り替えさせる命令を出している。借金で首が回らない武士は、猪山家だけではなかった。武士の多くが商人に借りを作り、藩もまた大坂の商人から巨額の借金をしていた。身分の上では最も高い者たちが、金の上では町人に頭が上がらない。このねじれは、幕末の社会の不安定さの底に流れていた。

分かったことは、教科書の武士像とかなり違う。

猪山家の借金は、年収の二倍近くあった。利子だけで収入の三分の一が消える。高い利子の借金を返すために、また借りる。帳面をつけ始めた天保年間は、天保の飢饉で米の値が乱高下し、多くの藩が財政難に陥った時代だった。藩の財政が苦しくなれば、藩士への支給も削られる。藩の帳簿をつける家が、自分の家の帳簿では赤字に苦しんでいた。

1842年、彼らは家財を売り払って借金を整理した。刀も、鎧も、掛け軸も売った。売った品目が一つずつ記録されている。帳面をつけていた猪山直之は、このとき家の立て直しを決め、一家の暮らしを切り詰めた。昼は藩の役所で藩の帳簿をつけ、家に帰れば自分の家の帳簿をつける。その几帳面さが、37年の記録を残した。数字の並びが、そのまま一家の暮らしの記録になっている。家計簿そのものが、借金を減らすために始められたものだったと考えられている。

廃藩置県に関わる図版:Modern Japan prefectures map in 1872
廃藩置県Wikimedia Commons Yoshida Togo (1860-1932) et al · Public domain

支出で大きいのは、親類や上役への付け届けと、身分に応じた儀礼の費用になる。婚礼、葬式、法事、子どもの成長の祝い。そのたびに客を招き、膳を出し、贈り物を返す。身分を保つこと自体に金がかかり、それが家計を圧迫していた。武士は、身分に見合った数の奉公人を抱え、登城のときには供を連れて歩くことが求められた。体面のための出費は、削りたくても削れない。本で印象深いのは、子どもの祝いの場面である。祝いの膳には鯛をつけるのが習いだったが、家計が苦しい猪山家は、本物の鯛の代わりに絵に描いた鯛を出してしのいだ。体面は守らなければならない。だが金は無い。その間で知恵を絞る家の姿が、帳面から立ち上がってくる。

猪山家を支えていたのは、算術の腕だった。御算用者は家柄だけで務まる役ではなく、そろばんと帳簿の技能が要る。猪山家は代々その技能を磨き、藩の財政の実務を担ってきた。刀の腕ではなく計算の腕で禄を得る武士が、幕末にはすでに大勢いたのである。藩の財政が複雑になるほど、こうした実務の役人の重みは増していった。

技能は、家の中で受け継がれた。父の直之は、幼い成之に算術を厳しく仕込んだとされる。家禄だけでは家が保てないことを、帳面をつける父は誰よりもよく知っていた。家の財産として子に残せるのは、刀や家柄よりも、身につけた技だった。その教育が、思いもよらない形で、明治の家を救うことになる。

そして幕府が倒れる。1867年の大政奉還と王政復古の大号令で政権が朝廷に移り、戊辰戦争が続いた。直之の子の成之は、算術の腕を買われて、戦争の兵站の仕事に関わった。軍隊を動かすには、兵糧と弾薬と金の出入りを正確に管理する者が要る。その仕事に、加賀藩の会計係の息子はうってつけだった。加賀藩は、戊辰戦争では新政府の側について、北陸の戦線に兵を出している。

王政復古の大号令に関わる図版:Kyoto-gosho Ogakumonjo-3
王政復古の大号令Wikimedia Commons Saigen Jiro · CC0

1871年の廃藩置県で藩が消え、武士の身分も消えた。その後、士族に支払われていた家禄も、1876年には公債に切り替えられて打ち切られる。多くの士族にとって、公債の利子だけでは暮らしが立たなかった。刀も家柄も価値を失った。多くの士族が慣れない商売に手を出して失敗し、暮らしに困った。「士族の商法」という言葉が生まれたのは、この時代である。不満を抱えた士族の一部は、1877年の西南戦争に至る反乱を起こした。

だが、そろばんができる武士は違った。猪山家の子は海軍の主計官になり、家は続いた。明治の帳面を見ると、成之が海軍から受け取る給料は、藩士だったころの家の収入を大きく上回っている。一方で、老いた親を養い、親類の面倒を見る出費も帳面に記されている。家を支える者が、藩から息子に替わったのである。藩から決まった米をもらう暮らしから、国に雇われて給料をもらう暮らしへ。帳面の上で、収入の名目が替わっていく様子は、武士が勤め人に変わっていく過程そのものだった。

もちろん、猪山家のように新しい時代に居場所を得た家ばかりではない。同じ加賀藩の藩士の中にも、禄を失って困窮し、土地を離れた家は多かったはずである。この本が描くのは、一つの家の幸運な例であり、その幸運を支えた条件が何だったかを考えさせる例でもある。

身分ではなく技能が人を運んだ、という話になる。明治の新しい国家は、軍隊も役所も鉄道も、計算と帳簿のできる人間を大量に必要としていた。江戸の武士の中で、そうした技能を持っていた者は、新しい時代にも居場所を見つけた。武士の時代の終わりは、一つの家の中では、生き残り方の切り替えとして経験された。

この本は、新書として広く読まれ、2010年には映画にもなった。歴史を、戦や政変ではなく、一つの家の台所から見せたことが、多くの読者に届いた。家計簿という、誰も歴史の史料だと思わない紙の束が、時代の手触りを最もよく伝えることがある。著者は、古文書を読み解く歴史家として、この帳面の数字を一つずつ表に起こし、家の収入と支出を年ごとに追った。武士の暮らしを、印象ではなく数字で示したところに、この本の新しさがあった。

この物語は、本が扱った時代を並べたものになる。本文は写していない。

動画(1)

【前編】「忍者を追う歴史学」磯田道史教授国際日本文化研究センター著者本人が、古文書から普通の人の暮らしを読む方法を話す

この物語が起きた場所

ロシア帝国大英帝国清スペイン帝国ラタナコーシン朝(シャム)日本安南朝鮮王朝フィリピン江戸(3件) 江戸幕府の成立 天保の飢饉 廃藩置県3金沢(1件) 猪山家の家計簿京都(1件) 王政復古の大号令

できごと5件が起きた3か所。 同じ場所で何度も起きていれば、その数だけ大きくなります。国境はAD1871の版図(この枠に大きく入る9勢力)。 物語は何百年にもまたがるので、最後のできごとの年で描いています。人物・国と、場所の分かっていないできごと2件は出ていません。押すと、この物語だけに絞った地図が開きます。

筋(7)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. 日本国AD3〜4世紀ごろ(古墳時代の王権) – (続く)畿内の王権から律令国家になり、武士の時代を経て、近代に帝国として外へ広がり、敗戦で列島に戻った。政体は何度も変わるが、土地としては一本の連続になる。
  2. 江戸幕府の成立できごとAD1603年石高で測る仕組み260年続く体制が始まった。参勤交代と身分制で、戦の無い時代を長く保つ。江戸
  3. 猪山直之人物AD1810年 – AD1875年帳面をつけた人加賀藩の会計を担った下級武士。借金に追われて家財を売り払い、家計簿を付け続けた。その帳面が発見されて、武士の暮らしの実像が分かった。
  4. 天保の飢饉できごと1833年藩の財政が傾く数十万人が死んだとされる。各地で一揆が起き、幕府の統治能力が問われはじめる。江戸
  5. 猪山家の家計簿できごと1842年全篇加賀藩の会計係の家が、37年分の収支を書き残した。武士が借金でどれほど追い詰められていたか、何にいくら使ったかが、一文単位で分かる唯一の史料になる。金沢
  6. 王政復古の大号令できごと1868年1月3日(慶応3年12月9日)幕府も摂政関白も廃し、天皇のもとに新政府を置くと宣言した。慶喜には辞官納地が命じられる。京都
  7. 廃藩置県できごと1871年8月29日(明治4年7月14日)身分が消え、技能が残る藩を廃して県を置いた。260年続いた分権の仕組みが一日で消え、中央集権国家になる。江戸

重なっているストーリー

同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。

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