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Event / できごと

セティフの虐殺

Sétif massacre
AD1945年5月8日
重要度 4

概要

ヨーロッパの戦勝を祝う日に、独立を求める旗が掲げられ、発砲があった。報復で数千人から数万人が殺される。アルジェリア戦争の起点として記憶されている。

場所

セティフ
36.19°N 5.41°E · アルジェリア

本文

1945年5月8日、ヨーロッパでの戦争が終わった日。 アルジェリアのセティフでも、戦勝を祝う行進が行われた。

行進の中に、アルジェリアの旗が掲げられた。 警官がそれを取り上げようとして発砲した。 群衆が暴発し、ヨーロッパ系住民102人が殺された。

報復は数週間続いた。 軍と警察と入植者の自警団が村を焼き、航空機と艦砲まで使われた。 死者は、フランス側の公式発表で1500人ほど、 アルジェリア側の主張で4万5000人。実数は分かっていない。

このとき20歳のフランツ・ファノンは、 フランス軍の兵士としてヨーロッパで戦い、帰る途中だった。 自由のために戦った軍が、故郷では逆のことをしている。

セティフを起点として数える人は多い。 9年後、アルジェリア戦争が始まる。

出典(2)

フランツ・ファノン(鈴木道彦、浦野衣子 訳) 地に呪われたる者第1章 暴力について(アルジェリアの前史)
フランツ・ファノン(海老坂武、加藤晴久 訳) 黒い皮膚・白い仮面著者が兵として戻る途中に起きた

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