← 地図で見る
Story / ストーリー

明治・大正の文化 — 文明開化から大衆文化へ

出てくるできごと AD1871 – AD1935
できごと 11人物 5
この物語に出てくる図版:Tokyo-Rokumeikan-zenmen-1883-1900
この物語に出てくる鹿鳴館から。Tokyo-Rokumeikan-zenmen-1883-1900 Wikimedia Commons Rijksmuseum · Public domain

概要

西洋の思想・学校・新聞・文学が一度に入ってきた明治と、ラジオと雑誌と映画で文化が大勢のものになった大正から昭和の初め。

この物語について

明治の初め、政府は西洋の制度と文化を急いで取り入れた。1872年に学制が公布されて全国に小学校が作られ、同じ年、福沢諭吉は『学問のすゝめ』で、人は生まれではなく学ぶかどうかで決まると説いた。新聞が次々に創刊され、東京には洋館の鹿鳴館が建って舞踏会が開かれた。

文学では、話し言葉に近い文章で書こうとする言文一致の試みが始まった。正岡子規は俳句と短歌を新しくし、樋口一葉は貧しい下町の女たちを描き、与謝野晶子は『みだれ髪』で恋を大胆に歌った。夏目漱石と森鷗外は、西洋を知った知識人の悩みを小説にした。美術では、岡倉天心が日本の伝統美術を守り育てようとし、科学では北里柴三郎が破傷風の治療法を見つけた。

大正から昭和の初めにかけて、文化は都市の大勢の人のものになった。1914年に宝塚少女歌劇が初めて公演し、1925年にはラジオ放送が始まった。雑誌が何十万部と売れ、1冊1円の全集が出回り、洋装のモダンガールが銀座を歩いた。1935年には芥川賞と直木賞が作られている。

この物語のページには、ムンディ先生の講義から、明治の文化の教育とジャーナリズムの回、大正・昭和初期の文化の学問・文学と芸能・芸術の回を置いた。明治の思想、科学、文学、美術の回と、大正の大衆文化の回は、それぞれ福沢諭吉、北里柴三郎、『吾輩は猫である』、岡倉天心、宝塚少女歌劇のページにある。

動画(4)

191  明治の文化②教育 日本史ストーリーノート第20話Historia Mundi ムンディ先生高校の日本史を200講で通す講義の第191講「明治の文化②教育」
193  明治の文化④ジャーナリズムの発達 日本史ストーリーノート第20話Historia Mundi ムンディ先生高校の日本史を200講で通す講義の第193講「明治の文化④ジャーナリズムの発達」
197 大正・昭和初期の文化②学問・文学 日本史ストーリーノート第20話Historia Mundi ムンディ先生高校の日本史を200講で通す講義の第197講「大正・昭和初期の文化②学問・文学」
198 大正・昭和初期の文化③芸能・芸術 日本史ストーリーノート第20話Historia Mundi ムンディ先生高校の日本史を200講で通す講義の第198講「大正・昭和初期の文化③芸能・芸術」

この物語が起きた場所

大英帝国White Russia中国の軍閥Far Eastern SSRモンゴルManchuria日本フランス領インドシナ安南フィリピン東京(9件) 学制の公布 『学問のすゝめ』 鹿鳴館 言文一致 与謝野晶子『みだれ髪』 夏目漱石『吾輩は猫である』 夏目漱石『坊っちゃん』 夏目漱石『こころ』 ほか1件9横浜(1件) 横浜毎日新聞の創刊宝塚(1件) 宝塚少女歌劇の初公演

できごと11件が起きた3か所。 同じ場所で何度も起きていれば、その数だけ大きくなります。国境はAD1935の版図(この枠に大きく入る10勢力)。 物語は何百年にもまたがるので、最後のできごとの年で描いています。人物・国と、場所の分かっていないできごと5件は出ていません。押すと、この物語だけに絞った地図が開きます。

筋(16)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. 北里柴三郎人物AD1853年1月29日 – AD1931年6月13日破傷風の治療ベルリンで破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を確立した。第1回のノーベル賞では共同研究者のベーリングだけが受けている。
  2. 森鷗外人物AD1862年2月17日 – AD1922年7月9日津和野の藩医の子で、19歳で東大医学部を出て、ドイツに4年。帰ってすぐ『舞姫』を書いた。軍医総監として脚気の原因を細菌だと言い張って兵を死なせた。晩年は歴史小説。「石見人森林太郎として死せんと欲す」。
  3. 岡倉天心人物AD1863年2月14日 – AD1913年9月2日伝統美術を守る横浜の生糸商の子で、フェノロサと古寺を回り、東京美術学校を作って追われ、日本美術院を作った。ボストン美術館の東洋部長。英語で『東洋の理想』『茶の本』を書いた。「アジアは一つ」。
  4. 正岡子規人物AD1867年10月14日 – AD1902年9月19日松山の生まれ。俳句と短歌を「写生」で作り直し、「月並み」を退けた。結核で脊椎が崩れ、寝たきりで『病牀六尺』を新聞に書いた。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。野球を愛し、「ベースボール」を「野球」と訳した一人。34歳。
  5. 横浜毎日新聞の創刊できごとAD1871年1月28日日本語の日刊新聞1871年1月28日(明治3年12月8日)、横浜で、日本語で書かれた初めての日刊の新聞『横浜毎日新聞』が創刊された。それまでも幕末の外国人の新聞や、翻訳の新聞はあったが、毎日出る日本語の新聞はこれが初めてだった。和紙ではなく洋紙に、木版ではなく鉛の活字で刷った。開港の町の商人たちのために、船の出入りや物の値段を載せた。数年のうちに東京でも日刊紙が次々に生まれ、新聞は、政府を論じ、民権を唱える場になっていく。横浜
  6. 学制の公布できごとAD1872年9月5日(明治5年8月3日)全国に小学校「邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん」。全国を8大学区、256中学区、5万3760小学区に分けた。授業料は親の負担で、就学率は最初3割。学校が焼き討ちされた県もある。それでも30年で9割になった。東京
  7. 『学問のすゝめ』できごと1872年学ぶかどうかで決まる「天は人の上に人を造らず」。300万部以上が読まれ、新しい世の考え方が広まった。東京
  8. 樋口一葉人物AD1872年5月2日 – AD1896年11月23日父が死んで17歳で戸主になり、母と妹を食べさせるために小説を書いた。吉原の裏で荒物屋を開いて失敗し、そこで見たものが『たけくらべ』になった。14か月で代表作を全部書いて、結核で24歳。五千円札。
  9. 鹿鳴館できごとAD1883年11月28日欧化の象徴井上馨が条約改正のために建てた洋館で、外国の外交官を招いて夜会と舞踏会を開いた。日本は文明国だと見せるために。「猿真似」と国内外で笑われ、井上が辞めて4年で終わった。東京
  10. 言文一致できごとAD1887年話すように書く明治まで、日本語の書き言葉は話し言葉と別物だった。漢文訓読体、候文、雅文。二葉亭四迷は『浮雲』を書くとき、どう書けばよいか分からず、坪内逍遥に相談した。「三遊亭円朝の落語通りに書いてみろ」と言われた。速記された落語の本が売れていた時代である。「だ」で終える文体ができた。山田美妙は「です」、尾崎紅葉は「である」。学校教育と新聞と、そして活版印刷が、これを全国の標準にした。話すように書く、という当たり前が、作られたものである。東京
  11. 与謝野晶子『みだれ髪』できごとAD1901年8月15日「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」。22歳の女性が恋と体を歌って、罵倒された。4年後、日露戦争の弟に「君死にたまふことなかれ」を書いて、また罵倒された。東京
  12. 夏目漱石『吾輩は猫である』できごとAD1905年1月1日「吾輩は猫である。名前はまだ無い」。英語教師が神経衰弱の気晴らしに書いた話が『ホトトギス』に載り、続きを求められて11回続いた。38歳。2年後に東京帝大を辞めて朝日新聞に入る。東京
  13. 夏目漱石『坊っちゃん』できごとAD1906年4月無鉄砲な江戸っ子の青年が、四国の中学校に数学の教師として赴任し、教頭の赤シャツやその取り巻きのずるさに腹を立てて、同僚の山嵐と組んで一矢を報いる。漱石が若いころ松山の中学校で教えた経験をもとに、雑誌『ホトトギス』に一挙に載せた。東京に戻った坊っちゃんを待っていた、ばあやの清への思いで結ばれる。東京
  14. 夏目漱石『こころ』できごとAD1914年4月20日鎌倉の海で出会った「先生」を慕う学生の「私」が、先生の長い遺書を受け取る。若いころ、先生は親友のKを出し抜いて下宿の娘との結婚を決め、Kは自殺していた。明治天皇の死と乃木希典の殉死を聞いた先生は、自分も死ぬことを決める。朝日新聞に連載され、のちに日本で最も多く読まれた小説の一つになった。東京
  15. 宝塚少女歌劇の初公演できごとAD1914年4月1日大衆の娯楽大阪から宝塚へ電車を通した箕面有馬電気軌道の小林一三は、乗る人を増やすために、終点に温泉の娯楽場を作った。そこの室内プールは、水が冷たすぎるうえに男女が一緒に泳げないという理由で客が来なかった。小林はプールに床を張って客席にし、少女たちの歌と踊りの一座を作る。1914年4月1日、16人の少女による初めての公演が開かれた。女性だけで男の役も演じる舞台は、のちに宝塚歌劇団となり、1974年の『ベルサイユのばら』で社会現象を起こした。鉄道の会社が沿線に娯楽を作り、客を運ぶというやり方の、先がけでもある。宝塚
  16. 芥川賞と直木賞できごとAD1935年文学賞の始まり雑誌社を営む作家の菊池寛は、若くして死んだ友人、芥川龍之介と直木三十五の名を冠した二つの文学賞を1935年に作った。純文学の新人に芥川賞、大衆文学に直木賞を贈る。第一回の芥川賞を逃した太宰治が、選考委員に受賞を懇願する手紙を送った話はよく知られている。賞は年に二度、新聞が大きく報じ、受賞作は売れる。作家の出発点を、出版社が作った賞が決める仕組みがここに生まれた。東京

重なっているストーリー

同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。

明治10件を共有 / 藩を消し、身分を消し、40年で列強と戦えるところまで作り替えた。その代償も含めて。表現の歴史8件を共有 / 書いた人、描いた人、作った人。政治と戦争のあいだに、ずっと別の営みがあった。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史4件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。考えることの歴史2件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。教育の歴史2件を共有 / 子どもが学校へ行くのが当たり前になったのは、ごく最近になる。誰が、誰に、何のために教えてきたか。メディアの歴史2件を共有 / 誰が、どれだけ速く、何人に届けられるか。その力を誰が握るかをめぐる歴史になる。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史2件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。感染症と人類1件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。女性の権利1件を共有 / 人口の半分が、参政権を得るまでに文明の歴史のほとんどを要した。都市の歴史1件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。誰が書き残したか1件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。確かめるという方法1件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。子どもの歴史1件を共有 / 子どもは、いつから守られ、学び、遊び、権利を持つ一人の人として扱われるようになったのか。言葉と文字の歴史1件を共有 / 話す言葉を書き留める文字が生まれ、印刷と国家と機械が、言葉を広め、整え、ときに奪ってきた。
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
この物語だけに絞って、地図と年表で追う国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →