概要
大阪から宝塚へ電車を通した箕面有馬電気軌道の小林一三は、乗る人を増やすために、終点に温泉の娯楽場を作った。そこの室内プールは、水が冷たすぎるうえに男女が一緒に泳げないという理由で客が来なかった。小林はプールに床を張って客席にし、少女たちの歌と踊りの一座を作る。1914年4月1日、16人の少女による初めての公演が開かれた。女性だけで男の役も演じる舞台は、のちに宝塚歌劇団となり、1974年の『ベルサイユのばら』で社会現象を起こした。鉄道の会社が沿線に娯楽を作り、客を運ぶというやり方の、先がけでもある。
場所
34.81°N 135.34°E · 兵庫県宝塚市
本文
小林一三は、大阪の北から箕面と宝塚へ向かう電車、箕面有馬電気軌道の経営を任された。沿線は田畑ばかりで、乗る人が少ない。小林は、線路沿いの土地を買って住宅地として分譲し、月賦で家を売った。そして終点の宝塚に、温泉の娯楽場「宝塚新温泉」を1911年に開いた。人が住み、人が遊びに行く先があれば、電車に乗る。
新温泉の目玉として作った室内のプールは、失敗した。温める仕組みが無く水が冷たいうえ、当時は男女が一緒に泳ぐことも許されなかった。小林はプールの上に床を張り、脱衣場を舞台に、プールを客席に変えた。そこで見せる出し物として、少女たちに歌と踊りを教える「宝塚唱歌隊」を作る。
1914年4月1日、16人の少女が、おとぎ話を歌劇にした『ドンブラコ』などを上演した。入場は温泉の料金に含まれていた。女性だけの一座で、男の役も女性が演じる。家族そろって安心して見られる健全な娯楽、というのが小林の狙いで、「清く正しく美しく」がその標語になった。一座は宝塚少女歌劇団、のちに宝塚歌劇団となり、1934年には東京にも劇場を開く。
1974年に初演された『ベルサイユのばら』は、池田理代子の漫画を舞台にしたもので、大勢の新しい客を劇場に呼んだ。小林のやり方、つまり鉄道の会社が沿線に住宅と娯楽と百貨店を作り、そこへ客を運ぶという事業の形は、日本の私鉄に広く受け継がれた。