できごと

『歴史とは何か』の講義

What Is History?
AD1961年1月〜3月
重要度 4
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概要

歴史とは、歴史家と事実のあいだの終わりのない対話である。ケンブリッジでの6回の連続講義が本になり、以後の歴史の読み方を変えた。

場所

ケンブリッジ
52.21°N 0.12°E · イギリス・イングランド

関わった人(1)

E・H・カーAD1892年6月28日–AD1982年11月3日 · 講義した

本文

1961年の1月から3月にかけて、イギリスのケンブリッジ大学で6回の連続講義が開かれた。歴史家トレヴェリアンの名を冠した講座で、演壇に立ったのは68歳のE・H・カーである。

カーの経歴は、ふつうの歴史家とは違っていた。若いころはイギリス外務省の外交官で、第一次世界大戦後のパリの講和会議にも随行した。40歳を過ぎて学問の世界に移り、国際政治学の古典『危機の二十年』を書いた。第二次世界大戦中は新聞『タイムズ』の論説を担い、戦後はロシア革命以後の歴史を描く大作『ソビエト・ロシア史』に何十年も取り組んでいた。歴史を書く仕事のただなかにいる人が、歴史とは何かを問う講義だった。

ロシア革命に関わる図版:Митинг на Невском проспекте (1917)
ロシア革命Wikimedia Commons unknown; photo retake by George Shuklin · Public domain

背景には、当時のイギリスの論争があった。哲学者アイザイア・バーリンは1950年代、歴史を必然の流れとして描く見方を批判し、個人の選択と責任を重んじるべきだと論じていた。冷戦のさなかで、歴史に法則を見いだすマルクス主義への警戒も強かった。ロシア革命を研究し、ソ連の計画経済にも一定の評価を与えていたカーは、講義のあちこちでバーリンに名指しで反論している。

第1講は「歴史家と事実」。有名なたとえが出てくる。カエサルがルビコン川を渡ったことは、歴史上の事実とされている(ルビコン渡河)。だが、その前にも後にも、何百万もの人が同じ川を渡ってきた。そちらは誰の関心も引かない。違いは、事実そのものにあるのではない。歴史家が、それを歴史上の事実として選んだかどうかにある。

ルビコン渡河に関わる図版:Crossing the Rubicon
ルビコン渡河Wikimedia Commons Jacob Abbott · Public domain

事実は、魚屋の台の上に並んだ魚のようなものではない、とカーは言う。歴史家はそれを買って帰り、好きなように料理すればよい、という考えを彼は退けた。事実はむしろ、広い、ときには手の届かない海を泳ぐ魚に似ている。何が釣れるかは、運にもよるが、主に海のどのあたりで釣り、どんな道具を使うかで決まる。だから、歴史書を読む前に、その歴史家を調べよ、と彼は勧めた。歴史家もまた、自分の時代と社会の産物だからである。

ここから、よく引かれる結論が出てくる。歴史とは、歴史家と事実のあいだの絶えまない相互作用の過程であり、現在と過去のあいだの終わりのない対話である。

E・H・カー『歴史とは何か』米国初版のカバー
E・H・カー『歴史とは何か』米国初版のカバーWikimedia Commons Alfred A. Knopf · Public domain

講義は、社会と個人、歴史と科学と道徳、因果関係、進歩へと進む。因果関係の回では、偶然をどう扱うかが論じられる。クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、という古い問いに対して、カーは一つの例を出した。ある男が煙草を買いに出て、飲酒運転の車にはねられて死ぬ。原因は、運転手の酒か、壊れたブレーキか、見通しの悪い角か、それとも煙草か。歴史家が取り上げるのは、ほかの場合にも当てはめて教訓を引き出せる原因であり、煙草ではない、と彼は論じた。最後の回では、歴史を進歩として見る見方を、慎重にではあるが擁護した。

講義は同じ1961年に本になった。日本でも翌1962年に清水幾太郎の訳が岩波新書から出て、長く読み継がれてきた。以後60年あまり、英語圏でも日本でも、歴史学の入口の一冊であり続けている。

E・H・カーが『危機の二十年』(1939年)で批判したノーマン・エンジェル
E・H・カーWikimedia Commons George Grantham Bain Collection (Library of Congress) · Public domain

批判もすぐに出た。事実の重みを軽んじすぎている、それでは歴史家の数だけ歴史があることになる、という批判である。イギリスの歴史家ジェフリー・エルトンは、数年後に書いた本で、歴史家は史料の前でまず謙虚であるべきだと反論した。カー自身がソビエト体制に甘すぎたのではないか、という指摘も根強い。

カーは晩年、この本の改訂版を準備していたが、1982年に亡くなり、果たせなかった。それでも、書かれた歴史を読むとき、誰が、いつ、何のために、何を選んで書いたのかを問う癖は、この小さな本から広まった。その読み方は物語「『歴史とは何か』で読む歴史の読み方」で詳しくたどれる。

出典(1)

E・H・カー(清水幾太郎 訳) 『歴史とは何か』全6講

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