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Story / ストーリー

鎌倉文化 — 武士と民衆の仏教

出てくるできごと AD1175 – AD1371
できごと 7人物 3

概要

源平の争乱で焼けた寺の再建と、新しい仏教の広がり。12世紀の終わりから14世紀の初めにかけての、武士と民衆が担い手になった文化。

この物語について

1180年、平氏の軍勢は奈良の東大寺と興福寺を焼いた。この再建から、鎌倉時代の文化は始まる。東大寺の再建を任された僧の重源は、宋の技術を取り入れた大胆な建築で大仏殿と南大門を建て、運慶と快慶らの仏師は、門の左右に力強い金剛力士像を彫った。写実的で動きのある彫刻は、武士の時代の好みをよく映している。

この時代を特徴づけるのは、新しい仏教である。それまでの仏教は、学問と厳しい修行を積める者のためのものだった。法然は、ただ念仏を唱えれば誰でも救われると説き、弟子の親鸞は、悪人こそが救われると説いて、さらに多くの人を引きつけた。栄西と道元は宋で禅を学んで持ち帰り、日蓮は法華経だけを信じよと説いた。一遍は、踊りながら念仏を唱えて全国を歩いた。

文学では、貴族たちが『新古今和歌集』を編む一方で、戦乱と無常を語る作品が生まれた。鴨長明の『方丈記』は、大火や飢饉、遷都を書き留め、琵琶法師は『平家物語』を語って歩いた。鎌倉時代の終わりには、吉田兼好が『徒然草』を書いている。

この物語のページには、ムンディ先生の講義から、鎌倉文化の文学・学問の回と、彫刻・建築・絵画の回を置いた。新しい仏教の回は、法然の専修念仏のページにある。

動画(2)

059 鎌倉文化②文学・学問 日本史ストーリーノート第07話Historia Mundi ムンディ先生高校の日本史を200講で通す講義の第59講「鎌倉文化②文学・学問」
060 鎌倉文化③彫刻・建築・絵画 日本史ストーリーノート第07話Historia Mundi ムンディ先生高校の日本史を200講で通す講義の第60講「鎌倉文化③彫刻・建築・絵画」

この物語が起きた場所

シベリアの諸集団明チベットスコータイ朝日本クメール帝国高麗大越大越アユタヤ朝アイヌモシリ海南京都(5件) 法然の専修念仏 鴨長明『方丈記』 道元の永平寺 一遍の遊行 『平家物語』と琵琶法師5博多(1件) 栄西と臨済宗東大寺(1件) 東大寺の再建

できごと7件が起きた3か所。 同じ場所で何度も起きていれば、その数だけ大きくなります。国境はAD1371の版図(この枠に大きく入る12勢力)。 物語は何百年にもまたがるので、最後のできごとの年で描いています。人物・国と、場所の分かっていないできごと3件は出ていません。押すと、この物語だけに絞った地図が開きます。

筋(10)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. 重源人物AD1121年 – AD1206年再建の勧進醍醐寺の僧。宋に三度渡ったと自分で言った。61歳で東大寺の大勧進。「南無阿弥陀仏」を名乗った。周防の杣、伊賀と播磨の別所、宋の技術、運慶と快慶。25年。86歳で死ぬまで。東大寺の俊乗堂の像は、皺と目の力で有名。
  2. 親鸞人物AD1173年5月21日 – AD1263年1月16日9歳で比叡山、29歳で下りて法然に。承元の法難で越後に流され、僧籍を奪われた。「愚禿」。恵信尼と結婚した。関東で20年。「他力」。「悪人正機」。息子善鸞を義絶した。90歳で死に、娘覚信尼が墓を守り、それが本願寺になった。
  3. 法然の専修念仏できごとAD1175年念仏だけで救われる比叡山を下りた僧が、念仏だけで誰でも救われると説いた。学問も戒律も財産もいらない。貴族の仏教が、庶民のものになる。旧仏教に訴えられ、75歳で流された。京都
  4. 栄西と臨済宗できごとAD1191年禅と茶二度宋に渡った僧が、臨済の禅と茶の種を持ち帰った。博多に最初の禅寺を建て、鎌倉に招かれた。『喫茶養生記』を書いて、二日酔いの将軍に茶を勧めた。博多
  5. 東大寺の再建できごとAD1195年(建久6年)焼けた大仏殿の再建1180年に平重衡が焼いた大仏殿を、61歳の僧重源が勧進で建て直した。宋の技術「大仏様」。周防の山から木を切り出し、宋の鋳物師陳和卿が大仏を鋳た。落慶供養に頼朝が来た。南大門の仁王は運慶と快慶。東大寺
  6. 鴨長明『方丈記』できごとAD1212年(建暦2年)無常を書き留める「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。下鴨神社の神職の家に生まれながら出世の道を断たれた鴨長明が、都を襲った大火、つむじ風、遷都、飢饉、大地震を書き留め、日野の山に一丈四方の庵を結んで暮らした日々を綴った。1212年に書き上げた。京都
  7. 日蓮人物AD1222年3月30日 – AD1282年11月14日安房の漁村の子。比叡山で学び、「法華経だけが正しい」と清澄山で唱えた。念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊。伊豆と佐渡に流され、斬られかけた。「日本の柱とならん」。身延山。弟子は六人に分かれ、宗派は日本で最も多く分かれた。
  8. 道元の永平寺できごとAD1244年ただ座る禅宋から帰った道元は「只管打坐」、ただ坐れ、と説いた。京で比叡山に嫌われ、越前の山に寺を建てた。「永平」は中国に仏教が来た年号。『正法眼蔵』95巻。「現成公案」。「有時」。時間と存在を書いた最初の日本語の哲学。京都
  9. 一遍の遊行できごと1274年踊り念仏寺を持たず、16年歩き続けて念仏の札を配った。踊り念仏には身分も性別も関係なく人が集まる。その旅の絵巻が、中世の市や港や道の姿を今に伝えている。京都
  10. 『平家物語』と琵琶法師できごとAD1371年語られる軍記鎌倉のはじめ、盲目の僧が琵琶を弾きながら平家の滅びを語り歩いた。文字で読む本ではなく、耳で聞く物語。祇園精舎の鐘の声。当道座という盲人の職能集団が、語りの流派と伝授を管理した。1371年、覚一が語りを整理して口述筆記させた(覚一本)。能・浄瑠璃・歌舞伎が、この物語から題材を取り続けた。日本語の散文の調べを作った。京都

重なっているストーリー

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