概要
宋から帰った道元は「只管打坐」、ただ坐れ、と説いた。京で比叡山に嫌われ、越前の山に寺を建てた。「永平」は中国に仏教が来た年号。『正法眼蔵』95巻。「現成公案」。「有時」。時間と存在を書いた最初の日本語の哲学。
場所
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
道元AD1200年1月26日–AD1253年9月22日 · 開いた本文
1200年、京。 「内大臣久我通親の子」。母は藤原基房の娘。 1202年、父。1207年、母。 「無常」。 1213年、比叡山。「本来本法性、天然自性身」。「人は皆、生まれつき仏なら、なぜ諸仏は発心して修行するのか」。 公胤。「栄西に聞け」。 建仁寺。明全。 1223年、宋。明州。「典座」。「他はこれ吾にあらず」。「文字とは何か」「一二三四五」。「弁道とは」「遍界曾て蔵さず」。 径山、天童山。 1225年、如浄。天童山。 「身心脱落」。「脱落身心」。 1227年、帰った。「空手還郷」。「眼横鼻直」。 『普勧坐禅儀』。 建仁寺。 1230年、深草。安養院。 1233年、興聖寺。 『正法眼蔵』。「現成公案」。1233年。 「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」。 「有時」。1240年。「いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり」。「時は飛去するとのみ解会すべからず」。 「山水経」。「山は山にあらず、水は水にあらず」。 比叡山。「達磨宗を名乗るな」。1243年、越前へ。波多野義重。 大仏寺。 1244年。 1246年、永平寺。「永平」は後漢の明帝の年号。仏教が中国に来たとされる年。 『典座教訓』。『赴粥飯法』。飯の炊き方、食べ方。 1247年、鎌倉。北条時頼。半年。「寺を寄進する」。断った。帰った。「私は鎌倉に行って、少しも変わらなかった」。 1253年、京。「病を治しに」。8月28日。53歳。 『正法眼蔵』は95巻。75巻本、12巻本、60巻本。完成しなかった。 「只管打坐」。ただ坐る。 「修証一等」。修行と悟りは一つ。「証を得るために修するのではない」。 「非思量」。 1926年、和辻哲郎『沙門道元』。「日本で最初の哲学者」。 ハイデガー。「有時」。 永平寺。曹洞宗。1万4000の寺。日本で最も寺の多い宗派。 道元は、寺を建てるつもりがなかった。