概要
寺を持たず、16年歩き続けて念仏の札を配った。踊り念仏には身分も性別も関係なく人が集まる。その旅の絵巻が、中世の市や港や道の姿を今に伝えている。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
一遍AD1239年–AD1289年8月 · 遊行した本文
伊予の武士の家に生まれ、出家し、いったん還俗し、また出た。 1274年から死ぬまでの16年、寺を持たずに歩き続けた。
配ったのは「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と刷った札になる。 受け取る側が信じているかどうかを問わない。 札を受け取れば、それで往生は決まっている、という立場を取った。
信濃で始まったとされる踊り念仏には、 武士も、商人も、遊女も、非人と呼ばれた人びとも加わった。 身分の枠が一時的に外れる場になっていた。
死ぬ前に、自分の書いたものをすべて焼かせた。 一代聖教みな尽きぬ、と言ったと伝わる。
10年後、弟子たちが『一遍聖絵』を作った。 その絵の中に、中世の市場、港、橋、関、道端の人びとが細かく描かれている。 書かれた記録には残らない人びとの姿を伝える、数少ない史料になった。
網野善彦は、この絵巻を繰り返し使った。
出典(1)
網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』第3章 畏怖と賤視