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Event / できごと

東大寺の再建

Rebuilding of Tōdai-ji
AD1195年(建久6年)
重要度 4

概要

1180年に平重衡が焼いた大仏殿を、61歳の僧重源が勧進で建て直した。宋の技術「大仏様」。周防の山から木を切り出し、宋の鋳物師陳和卿が大仏を鋳た。落慶供養に頼朝が来た。南大門の仁王は運慶と快慶。

場所

東大寺
34.69°N 135.84°E · 奈良県奈良市

関わった人(1)

重源AD1121年–AD1206年 · 勧進した

本文

1180年12月28日。平重衡。南都。 「興福寺と東大寺が、以仁王の側に」。 「風で、火が」。 「大仏殿。大仏の頭が落ちた」。 「3500人が、焼け死んだ」。 1181年。後白河。「再建」。 「藤原行隆。造東大寺長官」。 「重源」。61歳。 「大勧進職」。 「南無阿弥陀仏」。 「勧進」。「一紙半銭」。 「宋の陳和卿」。 1185年、大仏の開眼。「後白河が、自分で、筆を」。 「大仏殿は、まだ」。 「周防」。「東大寺の領地に」。 「杣」。「20メートルの木。118本」。 「山から川へ。瀬戸内海。淀川。木津川」。 「大仏様」。「天竺様」。「挿肘木。貫」。 「宋の様式。重源が」。 1190年、上棟。 1195年3月、落慶。 「頼朝。政子。数万」。 「後鳥羽」。 「頼朝は、鎌倉から、来た」。 1199年、南大門。 1203年、仁王。運慶、快慶。「69日」。 「阿形は快慶、吽形は運慶、と長く。1988年の解体で、逆かもしれない、と」。 「7000の部品」。 1206年6月。重源。86歳。 「重源上人像」。俊乗堂。国宝。 「皺。目。数珠」。 「誰が、作ったか。運慶か、快慶か、分からない」。 「浄土寺」。播磨。「阿弥陀三尊。快慶。大仏様」。 「重源は、宋に三度渡った、と自分で言った」。 「一度は、確か。栄西と一緒に帰った。1168年」。 「三度は、たぶん、嘘」。 「嘘でも、宋の技術を、持ってきた」。 「大仏殿は、1567年に、また焼けた。松永久秀」。 「今の大仏殿は1709年。公慶が勧進した」。 「重源の大仏殿より、幅が3分の2」。 「南大門と、仁王は、重源の」。 「800年」。

同じ時代のできごと

ナンマドールの造営AD12世紀頃から17世紀までヨーロッパの風車AD1180年頃法然の専修念仏AD1175年レニャーノの戦いAD1176年5月29日鹿ケ谷の陰謀AD1177年(治承元年)朱熹の白鹿洞書院AD1179年福原遷都AD1180年(治承4年)6月イブン・ルシュドのアリストテレス注釈AD1180年頃