概要
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。下鴨神社の神職の家に生まれながら出世の道を断たれた鴨長明が、都を襲った大火、つむじ風、遷都、飢饉、大地震を書き留め、日野の山に一丈四方の庵を結んで暮らした日々を綴った。1212年に書き上げた。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
『方丈記』は、鴨長明が1212年、建暦2年の3月に書き上げた随筆である。長明は、京都の下鴨神社の神職を務める家に生まれた。和歌と琵琶にすぐれ、後鳥羽上皇に認められて和歌所の寄人にもなったが、望んでいた下鴨神社の摂社の神職に就く道を一族の争いで閉ざされ、50歳ごろに出家した。
作品は、河の流れも、水に浮かぶ泡も、とどまることがないという一節で始まる。人と住まいもまたそうだと述べたうえで、長明は自分が若いころに目にした災厄を順に書き留めていく。1177年の安元の大火は都の三分の一を焼いた。1180年には、つむじ風が都を襲い、同じ年、平清盛は都を福原に移したが、半年ほどで戻した。1181年からの養和の飢饉では、都の道ばたに死人があふれ、仁和寺の僧が死者の額に阿の字を書いて数えた。1185年には大地震が起き、山が崩れ、海が陸にあふれた。
後半では、長明が晩年に京都の南東、日野の山に結んだ住まいが語られる。広さは一丈四方、およそ3メートル四方で、組み立て直して運べる小さな庵だった。長明はそこで、仏道の修行と、琵琶、和歌、山歩きの日々を送る。だが最後には、その庵に愛着を持つこともまた執着ではないかと、自分に問いかけて筆を置く。
災害と無常を見つめた記録として、『方丈記』は『徒然草』とともに日本の随筆の古典とされ、大きな災害のあとには、そのたびに読み直されてきた。