← 地図で見る
Person / 人

親鸞

Shinran
AD1173年5月21日 – AD1263年1月16日(享年89)
鎌倉幕府重要度 5

概要

9歳で比叡山、29歳で下りて法然に。承元の法難で越後に流され、僧籍を奪われた。「愚禿」。恵信尼と結婚した。関東で20年。「他力」。「悪人正機」。息子善鸞を義絶した。90歳で死に、娘覚信尼が墓を守り、それが本願寺になった。

関わったできごと(1)

親鸞『教行信証』AD1224年頃 · 著者

本文

親鸞。 1173年、日野。日野有範の子。「下級貴族」。 9歳。慈円のもとで出家。「明日ありと思う心の仇桜」。伝説。 比叡山。「堂僧」。20年。 「常行三昧堂」で念仏。 1201年、29歳。六角堂。100日。95日目。聖徳太子。「行者宿報設女犯」。 法然。吉水。 「善信」。「綽空」。 1205年、『選択集』の書写を許された。 1207年、承元の法難。住蓮、安楽。後鳥羽上皇の女官。 法然は土佐。親鸞は越後。 「藤井善信」。 「愚禿」。 恵信尼。三善為教の娘。 1211年、赦免。 1214年、関東。 稲田。 「教行信証」。 1235年頃、京。 60歳を過ぎて。 1256年、善鸞を義絶。 「私は父から、夜、特別の教えを」。 「そんなものはない」。 1263年、90歳。 善法院。押小路。 「弟子一人も持たず」。 「親鸞は弟子一人も持たず候」。『歎異抄』。 「みな御同朋、御同行」。 恵信尼。越後で、娘覚信尼に手紙。「殿(親鸞)は、法然上人の言われたことなら、地獄に落ちても」。 1921年、西本願寺の蔵から、恵信尼の手紙10通。 「親鸞は実在した」。 それまで、「親鸞は実在しない」と言う学者がいた。 「非僧非俗」。 「肉食妻帯」。 「悪人正機」。 「他力」。 「浄土真宗」。 本願寺。 「日本で最も大きい宗派の祖が、寺を建てず、弟子を持たず、僧でも俗でもないと言った」。 「彼の像は、笠をかぶって、旅をしている」。 「浄土真宗の寺の前に、みな」。