概要
醍醐寺の僧。宋に三度渡ったと自分で言った。61歳で東大寺の大勧進。「南無阿弥陀仏」を名乗った。周防の杣、伊賀と播磨の別所、宋の技術、運慶と快慶。25年。86歳で死ぬまで。東大寺の俊乗堂の像は、皺と目の力で有名。
関わったできごと(1)
東大寺の再建AD1195年(建久6年) · 勧進した本文
重源。俊乗房。 1121年。「紀季重の子」。 13歳。醍醐寺。 「大峰。熊野。御嶽。葛城」。 「修験」。 1167年。宋。「明州。天台山。阿育王山」。 「1168年。栄西と、帰った」。 「三度」。「自分で、そう言った」。 「一度、と多くの人は」。 1181年8月。61歳。 「大勧進職」。 「後白河。頼朝。九条兼実」。 「『一紙半銭』」。 「『南無阿弥陀仏』を、名とした。『なむあみだぶつ』と呼ばれた」。 「阿弥陀仏号。弟子に。『空阿弥陀仏』『観阿弥陀仏』」。 「陳和卿」。 「大仏。1185年」。 「周防。1186年から」。 「杣。『大仏殿の柱』」。 「『佐波川。関水。118か所』」。 「播磨。浄土寺。1192年。『大仏様』の建物で、唯一残る」。 「伊賀。新大仏寺」。 「渡辺。播磨。備中。東大寺の七別所」。 「『湯屋』。風呂。『鉄の湯船』」。 「『魚住泊』。港を直した」。 「『狭山池』。1202年。改修。碑」。 「橋。道」。 1195年。 1203年。 1206年6月5日。86歳。 「『南無阿弥陀仏作善集』。自分のしたことを、書いた」。 「俊乗堂。像。『快慶か』」。 「86歳の顔」。 「『あの顔を見た者は、あの人が、大仏殿を建てたことを、信じる』」。 「重源のあと、栄西が、大勧進」。 「重源。栄西。運慶。快慶」。 「宋の技術と、日本の力」。 「『勧進』」。 「『一紙半銭』」。 「乞食の坊主が、東大寺を、建てた」。 「そう言って、集めた」。