概要
窓口を長崎の出島などに絞った。外を完全に閉じたのではなく、幕府が交易を独占した状態に近い。
場所
出島
32.74°N 129.87°E · 日本・長崎県
32.74°N 129.87°E · 日本・長崎県
関わった人(1)
徳川家光AD1604年8月12日–AD1651年6月8日 · 将軍本文
ポルトガル船の来航を禁じた。
「鎖国」という語は、 19世紀にオランダ語の文献を訳す際に作られた。 当時、そう呼ばれてはいない。
完全に閉じたのではない。
四つの口が開いていた。 長崎でオランダと中国、 対馬で朝鮮、 薩摩で琉球、 松前でアイヌ。
変わったのは、 誰が交易するかを幕府が決めるようになったことになる。
大名が独自に外国と取引すれば、 富と武器を得て強くなる。 それを防ぐ狙いがある。
キリスト教の禁止も、 信仰そのものより、 領主への忠誠と競合することが問題にされた。
オランダは、布教しないという条件で残された。
情報は入ってきた。 オランダ風説書で、世界の動きは把握されていた。
出典(2)
網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』第2章 貨幣と商業・金融(海の民から見た「鎖国」)
ルース・ベネディクト(長谷川松治 訳) 『菊と刀 日本文化の型』第3章(各々其ノ所ヲ得)