国・勢力

東ローマ帝国

Byzantine Empire
AD395年(テオドシウスの死による東西分割) – AD1453年(コンスタンティノープル陥落)
地図での色首都 コンスタンティノープル重要度 5

概要

西が消えたあとも1000年続いた、ローマの東半分。自分たちはずっとローマ人と名乗っていた。版図は縮みつづけ、最後は城壁の内側だけになる。

版図の移り変わり(18)

  1. AD477 – AD532西が消える。ローマの東半分をそのまま引き継ぐ
  2. AD533 – AD539ユスティニアヌス。ヴァンダル王国を滅ぼしアフリカを取り戻す
  3. AD540 – AD551ゴート戦争。イタリアと島々を取り戻す
  4. AD552 – AD567イベリア南岸まで。地中海がもう一度ローマの海に近づく
  5. AD568 – AD623ランゴバルドが北イタリアへ。取り戻した端から失っていく
  6. AD624 – AD639西ゴートにイベリアを奪い返される
  7. AD640 – AD679ヤルムークとニハーヴァンドのあと。シリアとエジプトを失う
  8. AD680 – AD697ブルガール人がドナウを越えて国を建てる。バルカン北部を失う
  9. AD698 – AD755カルタゴ陥落。アフリカを失う
  10. AD756 – AD826ラヴェンナが落ち、ローマは教皇のものになる。イタリアは南端だけ
  11. AD827 – AD1017シチリアへのイスラム勢力の上陸。島々を失う
  12. AD1018 – AD1070バシレイオス2世。ブルガリアを併合し、ドナウまで戻る
  13. AD1071 – AD1203マンジケルト。アナトリア内陸を失い、同じ年にバーリも落ちる
  14. AD1204 – AD1260第四回十字軍が帝都を落とす。亡命政権がニカイアに立つ
  15. AD1261 – AD1299帝都を取り戻す。ただし版図はエーゲ海の周りだけ
  16. AD1300 – AD1388オスマンがビテュニアに現れる。アナトリアから退く
  17. AD1389 – AD1452コソヴォのあと。帝都の周りとモレアスだけになる
  18. AD1453 – AD1460帝都陥落。モレアス専制侯領だけが残る

この国の人物(8)

ユスティニアヌス1世AD482年頃–AD565年11月14日ヘラクレイオスAD575年頃–AD641年2月11日テオドラAD500年頃–AD548年アンナ・コムネナAD1083年12月1日–AD1153年頃キュリロスAD827年頃–AD869年2月14日フォティオスAD810年頃–AD893年頃ベリサリウスAD500年頃–AD565年プロコピオスAD500年頃–AD565年頃

本文

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動画(2)

オスマン帝国とキリスト教の板挟み!栄華を極めたビザンツ帝国の衰退【COTEN RADIO #129】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIOオスマンに落とされる前の帝国の衰えを日本語で聞ける
11. Byzantium - Last of the Romans (Part 1 of 2)Fall of Civilizations1000年を通して見ると、この国が何度も死にかけて何度も戻ったことが分かる
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