概要
補給の見込みがないまま山を越えさせ、9万人のうち3万人が死んだ。多くは戦闘ではなく飢えと病で死んでいる。反対意見が通らない組織の帰結として語られる。
場所
インパール
24.82°N 93.94°E · インド・マニプル州
24.82°N 93.94°E · インド・マニプル州
本文
1944年3月、日本軍3個師団、約9万人が、 ビルマからインド北東部のインパールを目指して山を越えた。
補給の計画は、途中で敵の物資を奪うことと、 連れて行った牛を食べることを前提にしていた。 牛は川を渡れずに多くが失われた。
雨季が来た。 道は消え、弾薬も食料も届かない。 現地の師団長三人が相次いで作戦の中止を具申し、 そのうち一人は独断で撤退して罷免された。
7月に中止が決まるまで、4か月かかった。 死者約3万人。その多くは戦闘ではなく、飢えとマラリアと赤痢による。 退路は「白骨街道」と呼ばれた。
作戦を立てた司令官は、勝算を問われて「必勝の信念」と答えた記録が残る。 反対意見は、会議の場では出にくかった。
『失敗の本質』はこの作戦を、 組織が一度決めたことを止められなくなる典型として分析した。
出典(1)
戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』第4章 インパール作戦