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Event / できごと

「インドを立ち去れ」運動

Quit India Movement
AD1942年8月8日
重要度 3
大英帝国ソビエト連邦中国の軍閥イギリス領インド帝国スーダンベルギー領コンゴモンゴルサウジアラビア新疆イランオランダ領東インドチベットEmirate of Bin Shal'anEthiopia (Italy)エチオピア帝国エジプトタンザニアアフガニスタンMesopotamia (GB)トルコケニアシャムHejazイタリア領ソマリランドSyria (France)イギリスMuscat and OmanOman (British Raj)マレーシアYemen (UK)イエメンフランス領インドシナラオスウガンダTrucial Omanアルメニアカンボジアネパールイギリス領ソマリランドEritrea (Italy)HailコーチシナセイロンAD1942年8月8日ムンバイ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1942年8月8日の版図を描いています(43勢力)。

概要

1942年8月8日、日本軍がビルマまで迫るなか、インド国民会議はボンベイで、イギリスはただちにインドから立ち去れと求める決議をした。ガンディーは「行動か死か」と訴える。翌朝、イギリスはガンディーとネルーら指導者をいっせいに捕らえた。指導者を失った人々は各地で役所や鉄道や電信を襲い、軍と警察は発砲して、千人を超える人が死んだ。運動は数か月で抑え込まれたが、戦争のさなかに十万人を牢に入れなければ治められない植民地を、イギリスが戦後も持ち続けることは難しくなった。

場所

ムンバイ
18.94°N 72.84°E · インド・マハーラーシュトラ州

関わった人(1)

ガンディーAD1869年10月2日–AD1948年1月30日 · 決議を率いる

本文

1939年、第二次世界大戦が始まると、インド総督は、インドの人々に諮らずにインドの参戦を宣言した。国民会議はこれに抗議して、各州の政府から退いた。1942年、日本軍がシンガポールを落とし、ビルマに攻め込むと、イギリスは戦争への協力を得るため、使節クリップスを送って、戦後の自治を約束した。しかし、すぐの独立を認めない案に、国民会議は応じなかった。

1942年8月8日、ボンベイで開かれた国民会議の委員会は、イギリスにただちにインドから立ち去るよう求める決議をした。ガンディーは演説で、自由を得るか、その試みの中で死ぬか、「行動か死か」と呼びかけた。非暴力の大きな運動を始めるつもりだった。

翌8月9日の未明、イギリスはガンディー、ジャワハルラール・ネルーをはじめ、国民会議の指導者をいっせいに逮捕した。国民会議は非合法とされる。指導者を失った各地の人々は、自然に立ち上がった。駅や郵便局や警察署が焼かれ、線路と電信の線が切られた。いくつかの地方では、イギリスの役人を追い出して、自分たちの政府を名乗ったところもある。

軍と警察は群衆に発砲し、村を焼き、鞭で打った。千人を超える人が死に、十万人ほどが牢に入れられた。運動は年末までにほぼ抑え込まれた。一方で、イギリスは、戦争のさなかに大軍を国内の治安に割かなければならなかった。イギリス側でも、戦争が終われば、インドを力で治め続けることはできないという見方が広がる。5年後、インドは独立した(インドの独立)。

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