概要
1914年、第一次世界大戦に加わった日本は、赤道の北に散らばるドイツ領の島々(マリアナ・カロリン・マーシャル)を占領した。戦後、国際連盟はここを日本の委任統治領とし、1922年、パラオのコロールに南洋庁が置かれる。サトウキビの畑と製糖の会社が開かれ、沖縄などから移り住んだ日本人は、1930年代の半ばには島の人々の数を上回った。学校では日本語が教えられた。連盟を脱退したあとも日本は島を手放さず、やがて海軍の拠点が築かれて、島々は太平洋の戦場になっていく。
場所
7.34°N 134.48°E · パラオ
本文
赤道の北、東西五千キロにわたって、二千を超える島が散らばっている。マリアナ、カロリン、マーシャル。マーシャルは1885年からドイツ領で、マリアナとカロリンは1899年にドイツがスペインから買い取った。1914年、第一次世界大戦でドイツと戦うことになった日本の海軍は、ほとんど抵抗を受けずに、数週間でこれを占領した。
戦後、国際連盟の発足は、敗れた国の植民地を「文明の進んだ国」に預けて治めさせる委任統治の仕組みを作った。南洋の島々は、そのうち最も自由のきかないC式とされ、日本の領土の一部として治めてよいが、要塞を築いてはならない、と決められた。1922年、パラオのコロールに南洋庁が置かれる。
島の暮らしを大きく変えたのは、南洋興発という会社のサトウキビだった。サイパンとテニアンの平地は畑になり、製糖の工場が建ち、働き手として沖縄から多くの人が渡った。1935年ごろには、島に住む日本人が島の人々の数を上回る。コロールの町には役所と商店と料理屋が並んだ。島の子どもたちは公学校で日本語を学び、日本人とは別の、低い扱いを受けた。
1933年、日本は国際連盟からの脱退を決めたが、島を返すことはしなかった。1930年代の終わりから飛行場や港が整えられ、島々は海軍の前線の拠点になる。太平洋の戦争で、サイパン、テニアン、ペリリュー、トラックは戦場になり、移り住んだ人々と島の人々の多くが巻き込まれた。戦後、島々はアメリカの信託統治を経て、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、北マリアナ諸島に分かれている。パラオの言葉には、いまも「ベントー」「ダイジョウブ」といった日本語が残っている。