できごと

コロラド川協定

Colorado River Compact
AD1922年11月24日
重要度 4
大英帝国カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国デンマークメキシココロンビアベネズエラDominion of NewfoundlandニカラグアホンジュラスキューバグアテマラAD1922年11月24日サンタフェ(ニューメキシコ)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1922年11月24日の版図を描いています(13勢力)。

概要

ロッキー山脈から砂漠を抜けて流れるコロラド川を、流域の七つの州が奪い合っていた。下流のカリフォルニアは急速に人を増やし、上流の州は取られる前に権利を確かめたかった。商務長官フーヴァーの仲立ちで、七州の代表がサンタフェ近くの宿に集まり、流域を上と下に分けて、それぞれ毎年同じ量の水を使えると決めた。基にした川の水量は、たまたま雨の多かった年の数字だった。のちの研究で、実際の平均はそれより少ないことが分かる。紙の上で配った水は、川が運ぶ水より多かった。その不足は、百年たったいまも協定の見直しを迫っている。

場所

サンタフェ(ニューメキシコ)
35.69°N -105.94°E · アメリカ・ニューメキシコ州

本文

コロラド川はロッキー山脈の雪解け水から始まり、ユタやアリゾナの乾いた台地を抜けてグランド・キャニオンを刻み、メキシコのカリフォルニア湾へ注ぐ。流域には七つの州がある。上流のコロラド、ワイオミング、ユタ、ニューメキシコと、下流のアリゾナ、ネバダ、カリフォルニアである。雨の少ないアメリカ南西部で、この川はほとんど唯一の大きな水源だった。

アメリカ西部の水には独特の決まりがあった。川のそばに住んでいるかどうかではなく、先に水を引いて使い始めた者が先に権利を持つ。乾いた土地で鉱山や畑を開くために生まれた考え方で、「先取りの原則」と呼ばれる。この決まりのもとでは、早く育った者が勝つ。

20世紀の初め、早く育っていたのはカリフォルニアの南部だった。ロサンゼルスは人を増やし続け、川の水を引いたインペリアル・ヴァレーでは砂漠が畑に変わりつつあった。上流の州はこれを恐れた。下流が先に大量の水を使い始めれば、権利は下流のものになる。上流の州が自分たちの町や畑を育てるころには、使える水が残っていないかもしれない。一方で、下流は洪水を抑え、水を貯える大きなダムを望んでいた。ダムには連邦の金が要り、議会は水の分け方が決まらないうちは金を出そうとしなかった。

1922年11月、七つの州の代表がニューメキシコ州サンタフェ近くの宿に集まった。仲立ちをしたのは商務長官ハーバート・フーヴァーで、のちの大統領である。初めは州ごとに取り分を決めようとしたが、話はまとまらなかった。そこで流域を上と下の二つに分けることにした。上流の4州と下流の3州が、それぞれ毎年750万エーカーフィート(約92億立方メートル)の水を使えるとし、上流は10年単位で一定の量を下流へ流し続けなければならない、と定めた。11月24日、代表たちは署名した。州ごとの配分は後の話し合いに回された。

ところが、この取り決めの土台にした川の水量には問題があった。年にどれだけの水が流れるかという見積もりは、20世紀初めの観測記録から出したものだった。その時期は、たまたま雨と雪の多い年が続いていた。のちに木の年輪から過去数百年の流量を読み取る研究が進むと、協定の前後の数十年は、数百年に一度というほど水の多い時期だったことが分かった。長い目で見た平均は、協定が前提にした量よりかなり少ない。当時も、見積もりが多すぎるのではないかという指摘はあった。それでも多めの数字は、誰にとっても都合が良かった。全員に多く配れるからである。紙の上で配った水は、川が運ぶ水より多かった。

協定のあと、下流のアリゾナは取り分に不満を持ち、批准を1944年まで拒んだ。カリフォルニアとの水争いは連邦最高裁判所まで持ち込まれ、1963年の判決でようやく州ごとの配分が固まった。その間に、協定を前提とした工事が進んだ。1928年に議会が建設を認めたボルダー・ダムは1936年に完成し、のちにフーヴァー・ダムと呼ばれる(同じころの巨大ダムとしては、ナイル川のアスワン・ハイ・ダムがのちに続く)。水は長い水路でロサンゼルスへ、さらにのちにはフェニックスやツーソンへ送られ、ラスベガスも湖の水で育った。砂漠の真ん中に、数千万人が暮らす都市圏ができた。

1944年にはメキシコにも年150万エーカーフィートを渡す条約が結ばれた。川の水はほとんど使い尽くされ、多くの年、海まで届かなくなった。かつて広い湿地だった河口の三角州は干上がった。

21世紀に入ると、日照りが何年も続いた。ダムの湖であるミード湖とパウエル湖の水位は下がり続け、湖岸に白い帯のような跡が残った。2021年、連邦政府は初めてミード湖の水不足を公式に宣言し、アリゾナなどへ送る水が減らされた。州どうしは水の使用を減らす話し合いを重ねているが、農業と都市、上流と下流、先住民の部族の権利が絡み、決着は簡単ではない。協定の運用の取り決めの多くは2026年に期限を迎え、その後の分け方をめぐる交渉が続いている。

水の法廷で水を分け合った農民たちは、同じ水路でつながった隣人だった。コロラド川を分け合うのは、千キロも離れた州と州であり、互いに顔を合わせることはない。水を分ける約束は、水の量を知らなければ結べない。知らないまま多めに約束すれば、あとで誰かが足りなくなる。百年たって、その誰かが全員になろうとしている。

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