概要
ジョイスの40歳の誕生日に、パリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店のシルヴィア・ビーチが出版した。1904年6月16日のダブリンの1日。レオポルド・ブルーム、スティーヴン・ディーダラス、モリー。『オデュッセイア』の18の挿話。意識の流れ。最後の章は句読点なしで8文。アメリカとイギリスで猥褻で禁じられ、1933年にアメリカの裁判所が解禁した。6月16日はブルームズデイ。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
関わった人(1)
ジェイムズ・ジョイスAD1882年2月2日–AD1941年1月13日 · 書いた本文
ジョイスは1914年から書いていた。トリエステ、チューリヒ、パリ。『若い芸術家の肖像』のスティーヴン・ディーダラス(ジョイス自身)と、ユダヤ人の広告取りレオポルド・ブルームと、その妻モリー。1904年6月16日、木曜日。ジョイスがノラ・バーナクルと初めて歩いた日。ダブリンの1日の全部。
『オデュッセイア』の18の挿話。テレマコス、ネストル、プロテウス、カリュプソ、食蓮人、ハデス、アイオロス、ライストリュゴネス、スキュラとカリュブディス、さまよう岩、セイレン、キュクロプス、ナウシカア、太陽神の牛、キルケ、エウマイオス、イタケ、ペネロペイア。挿話ごとに文体が変わる。新聞の見出し、音楽、英語の散文の歴史のパロディ(古英語から20世紀まで)、劇の台本、問答(教理問答の形)、そして最後、モリーの独白。句読点なし、8つの文、2万4000語。「yes I said yes I will Yes」。
1918年から、ニューヨークの『リトル・レビュー』が連載した。1920年、ナウシカア(ブルームが浜辺で少女を見て自慰する)で、悪徳追放協会が訴え、編集者2人が有罪。イギリスも印刷しなかった。
パリ。シルヴィア・ビーチ(アメリカ人、オデオン通りの英語の書店「シェイクスピア・アンド・カンパニー」)が、1921年4月、「出しましょうか」。ジョイスは「はい」。ディジョンの印刷屋ダランティエール(英語を知らない)。ジョイスは校正刷りに書き足して、3分の1が校正で増えた。予約1000部。1922年2月2日、ジョイスの40歳の誕生日。朝、ディジョンからの列車で2冊が届いた。1冊はジョイスに、1冊は書店の窓に。732ページ、青い表紙(ギリシアの旗の青)、白い字。誤植が2000か所以上。
アメリカとイギリスの税関は没収して焼いた。密輸された(ヘミングウェイがカナダ経由の方法を考えた)。海賊版。1933年12月6日、ニューヨーク連邦地裁のウルジー判事が「猥褻ではない。催淫的ではない。むしろ吐き気を催す所がある」と判決した。1934年、ランダムハウス。1936年、イギリス。
エリオットは「われわれの時代の最も重要な表現」と言い、ウルフは「教養のない労働者の本」と日記に書き、ユングは「私は最後の章を読んで、悪魔の祖母なら女についてこれほど知っているだろうと思った」とジョイスに手紙を書いた。
6月16日、ブルームズデイ。ダブリンで、人々が本の道をたどる。