概要
糖尿病は、それまで死ぬ病だった。子どもは診断から1年ほどで痩せて死んだ。トロント大学で、外科医バンティングと学生ベストが、犬の膵管を縛って外分泌の組織を萎縮させ、残った膵島の抽出液を取り出した。1922年1月、14歳のレナード・トンプソンに注射した。血糖が下がった。生化学者コリップが精製法を改良し、マクラウドが研究室を貸した。特許は1ドルで大学に譲られた。「私たちのものではない。世界のものだ」。
場所
43.65°N -79.38°E · カナダ・オンタリオ州
関わった人(1)
フレデリック・バンティングAD1891年11月14日–AD1941年2月21日 · 取り出した本文
糖尿病は、古代から知られていた。エジプトのエーベルス・パピルス(前1550年頃)に、「尿が多すぎる」病の記述がある。
インドの古典医学では、尿に蟻が集まることから「蜜の尿」と呼ばれた。ギリシア語の diabetes は「通り抜ける」(水がそのまま体を通過する)、ラテン語の mellitus は「蜜の」。
**1型糖尿病**(当時は区別されていなかったが、子どもと若者に起きる型)は、**死ぬ病**だった。
診断されると、体重が落ち、喉が渇き、大量に尿をし、そして数か月から2年ほどで、意識を失って死ぬ(ケトアシドーシス)。
唯一の「治療」は、**飢餓療法**だった。極端に食事を制限すれば、寿命が延びる。1日400〜600キロカロリー。子どもたちは、骨と皮になって、それでも死んだ。
**手がかり**。1889年、ストラスブールのオスカー・ミンコフスキーとヨーゼフ・フォン・メーリングが、犬の膵臓を全部摘出したところ、犬が糖尿病になった。膵臓に、何かがある。
膵臓には二つの働きがある。消化酵素を腸に出す働き(外分泌)と、何かを血に出す働き(内分泌)。後者を担うのが、1869年にパウル・ランゲルハンスが記載した細胞の島(**ランゲルハンス島**)。
多くの研究者が、膵臓をすりつぶして抽出液を作ろうとした。うまくいかない。消化酵素が、目的の物質(タンパク質)を、その場で分解してしまうからである。
**バンティング**。1920年10月30日の夜。オンタリオ州ロンドンの、開業に失敗しかけた30歳の外科医が、翌日の生理学の講義の準備をしていた。
読んでいた論文は、膵石で膵管が詰まった患者の症例だった。外分泌の組織が萎縮し、ランゲルハンス島が残っていた。
彼は、夜中の2時に起き出して、ノートに書いた。
「犬の膵管を縛る。犬を6〜8週間生かしておく。変性を待つ。島を取り出し、内分泌を取り出して糖尿を軽減する」。
(このメモには綴りの誤りがあり、そのまま保存されている。)
**トロント**。彼は、トロント大学の生理学教授**J・J・R・マクラウド**に売り込んだ。マクラウドは炭水化物代謝の専門家で、この着想を「素人の思いつき」と見たが、夏の休暇で空く研究室と、犬10匹と、助手一人を貸した。
助手は、大学院生**チャールズ・ベスト**(22歳)。もう一人の候補**クラーク・ノーブル**とコイン投げで決めた、と伝えられる。
1921年の夏。暑い屋根裏の実験室。犬の手術。多くの犬が死んだ。技術は粗かった。
7月30日、膵臓を摘出して糖尿病にした犬に、変性させた膵臓の抽出液を注射した。血糖が下がった。
**精製**。抽出液は不純で、注射すると膿瘍ができた。ここで生化学者**ジェームズ・コリップ**が加わり、アルコールの濃度を段階的に変えて有効成分を分ける方法を確立した。
**1922年1月11日**。トロント総合病院。**レナード・トンプソン**、14歳。体重29kg。死にかけていた。
最初の注射(バンティングとベストの粗い抽出液)は、効果が乏しく、注射部位に膿瘍ができた。
1月23日、コリップが精製した抽出液を注射した。血糖が急落し、尿の糖が消え、ケトン体が消えた。少年は回復した。
(彼はその後13年生きた。27歳で肺炎で死んだ。)
**病棟**。トロントの病院には、昏睡状態の子どもたちが並んだ病棟があった。親が付き添っていた。
医師たちが、順に注射して回った。最後の子に打ち終える頃、最初の子が目を覚まし始めた。
(この場面は繰り返し語られ、細部は脚色されている可能性がある。しかし、当時の記録に近い証言がある。)
**特許**。バンティング、ベスト、コリップは、特許をトロント大学に**1ドルで譲渡**した。
バンティングは言った。「インスリンは私のものではない。世界のものだ」。
大学が特許を持ったのは、粗悪な模造品が出回るのを防ぎ、品質を管理するためだった。イーライ・リリー社が大量生産の技術を開発し、1923年から供給が始まった。
**ノーベル賞**。1923年、バンティングとマクラウドに授与された。
バンティングは激怒した。ベストが外されたからである。彼は賞金の半分をベストに渡した。マクラウドは、自分の半分をコリップに渡した。
四人の関係は、その後も険悪だった。誰が「発見者」かをめぐる争いは、いまも続いている。
**その後**。1958年、フレデリック・サンガーがインスリンのアミノ酸配列を決定した(タンパク質として初めて)。1978年、遺伝子組換えで大腸菌にヒトインスリンを作らせることに成功し、1982年から製品になった。
そして、価格の問題が残っている。100年前に1ドルで譲られた特許の後継製品が、国によっては極めて高価である。