温度の目盛
概要
熱いか冷たいかを、数で言えるようにする。1724年、ファーレンハイトが水銀の温度計と目盛を定めた。1742年、ウプサラのアンデルス・セルシウスは、水の沸点を0度、氷点を100度とする目盛を提案した。いまと上下が逆である。気圧による沸点の変化まで注記していた。逆転したのは彼の死後で、リンネらの名が挙げられている。1948年、この目盛は正式にセルシウス度と呼ばれることになった。
場所
59.86°N 17.64°E · スウェーデン
関わった人(1)
アンデルス・セルシウスAD1701年11月27日–AD1744年4月25日 · 提案本文
熱いか冷たいかは誰にでも分かる。だが、どれだけ熱いかを数で言うのは難しい。手の感覚はあてにならない。冷たい水に浸した手をぬるま湯に入れれば熱く感じ、熱い湯に浸した手を同じぬるま湯に入れれば冷たく感じる。温度を数で言うには、感覚とは別の物差しが要った。
最初の手がかりは、温まると膨らむ空気だった。1590年代、ガリレオは、ガラスの球に入れた空気の膨らみ縮みで水の柱が上下する装置を作ったとされる。だがこの装置は気圧の変化にも反応してしまい、目盛も無かった。1650年代、トスカーナ大公フェルディナンド2世のもとで、アルコールをガラスの管に密封した温度計が作られ、気圧の影響を受けなくなった。フィレンツェの学者たちの集まりの仕事である。

残る問題は、目盛をどこに刻むかだった。誰がどこで作っても同じ数を示すには、いつでも再現できる二つの基準の点が要る。氷が融ける温度、水が沸く温度、人の体温、地下室の温度、バターが融ける温度。さまざまな候補が試された。地下室の温度は実際に使われたが、地下室が違えば温度も違った。
温度計を精密な道具にしたのは、ダニエル・ガブリエル・ファーレンハイト(1686〜1736年)である。バルト海の港町ダンツィヒ(いまのグダンスク)に生まれたが、両親がきのこの中毒で同じ日に亡くなり、十代でアムステルダムの商人のもとへ奉公に出された。そこで科学の器具づくりに引き込まれていった。彼はアルコールの代わりに水銀を使った。水銀は温度に対してほぼまっすぐに膨らみ、広い範囲で液体のままで、ガラスの壁に付かない。そして何より、彼の作る温度計は一本一本の差が小さく、同じ温度を同じ数で示した。当時としては驚くべきことだった。

1724年、ファーレンハイトは自分の目盛を発表した。氷と水と塩化アンモニウムを混ぜた寒剤の温度を0度、水と氷の混ざった温度を32度、人の体温を96度とした。この目盛で水の沸点を測ると212度になった。のちに目盛は氷点の32度と沸点の212度を基準に定め直され、そのぶん体温は98.6度になった。アメリカでいまも使われる華氏の目盛である。
スウェーデンのウプサラ大学の天文学教授アンデルス・セルシウス(1701〜1744年)は、別の目盛を考えた。彼は若いころヨーロッパ各地の天文台を巡り、1736年には、地球の形を確かめるためにフランスの科学アカデミーが北のラップランドへ送った測量隊にも加わっている(その背景はカシニのフランス測量図を参照)。正確に測ることを身につけた天文学者だった。1742年、アンデルス・セルシウスはスウェーデン王立科学アカデミーに、温度計の二つの定点についての論文を出した。水の沸点を0度、氷点を100度とし、そのあいだを百等分する目盛である。いまとは上下が逆だった。なぜ逆にしたのかは、彼自身が書いていないので分からない。

セルシウスは温度だけを測っていたのではない。1741年にはウプサラに天文台を整え、助手のヒオルテルとともに方位磁針の針の揺れを何千回も記録して、北の空にオーロラが現れるときに磁針が乱れることを確かめた。オーロラと地球の磁気との結びつきを示した、早い観測の一つである。
論文の本当の中身は、0と100という数より、定点の確かさを調べたことにあった。セルシウスは、雪や氷が融ける温度が、場所や気圧によってほとんど変わらないことを確かめた。そして水の沸く温度は気圧によって変わることを示し、沸点で目盛を定めるなら、そのときの気圧を決めておかなければならないとはっきり書いた。気圧と沸点の関係を表にまで示している。山の上でお湯がぬるいうちに沸くことは、いまでは誰もが知っているが、温度の基準として扱うには、この注意が欠かせなかった。

1744年、セルシウスは結核のため42歳で世を去った。目盛が逆さまにされたのはその後のことである。誰が最初にひっくり返したかは、はっきりしない。ウプサラの植物学者カール・フォン・リンネは、1745年ごろ、氷点を0度、沸点を100度とする温度計を温室用に作らせていて、その記録が最も分かりやすい。温度計を作った職人や、セルシウスの後任の天文学者の名も挙がる。フランスのリヨンでも、ほぼ同じ頃、ジャン=ピエール・クリスタンが、氷点を0、沸点を100とする温度計を独自に作っていた。いくつかの場所で別々に、同じ向きに落ち着いたと考えられている。
この目盛は長く「百分度」と呼ばれた。ところが、フランス語などでは角度の単位にも同じような言葉があり、紛らわしかった。1948年、国際度量衡総会は、この目盛を正式にセルシウス度と呼ぶことに決めた。考えた人の名が、単位の名になったのである。日本語の摂氏は、中国語でセルシウスを音写した「摂爾修斯」の頭の字に「氏」を付けたもので、華氏も同じようにファーレンハイトの音写から来ている。
19世紀の半ば、イギリスのウィリアム・トムソン、のちのケルヴィン卿は、これ以上下がりようのない温度があると考え、そこを0とする絶対温度を提案した。気体は冷やすほど縮み、その縮み方をたどっていくと、ある温度で体積が0になる計算になる。それがおよそ零下273度である。目盛の刻みはセルシウス度と同じにしたので、0度はおよそ273ケルビンにあたる。
いま、温度の単位の土台はケルビンにある。長いあいだケルビンは、水の氷と水と水蒸気が共存する三重点という、水の性質によって定められていた。2019年、国際単位系が改められ、ケルビンは、分子の運動のエネルギーと温度を結びつけるボルツマン定数の値を決めることで定義されるようになった。セルシウス度は、そのケルビンから273.15を引いたものとして定められている。水の沸点と氷点から始まった目盛の定義から、いまでは水そのものが姿を消している。それでも、天気予報で私たちが聞く温度は、ウプサラの天文学者が百に分けた目盛のままである。