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Event / できごと

温度の目盛

The temperature scale
AD1742年
重要度 3
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1742年の版図を描いています(25勢力)

概要

熱いか冷たいかを、数で言えるようにする。1724年、ファーレンハイトが水銀の温度計と目盛を定めた。1742年、ウプサラのアンデルス・セルシウスは、水の沸点を0度、氷点を100度とする目盛を提案した。いまと上下が逆である。気圧による沸点の変化まで注記していた。逆転したのは彼の死後で、リンネらの名が挙げられている。1948年、この目盛は正式にセルシウス度と呼ばれることになった。

場所

ウプサラ
59.86°N 17.64°E · スウェーデン

関わった人(1)

アンデルス・セルシウスAD1701年11月27日–AD1744年4月25日 · 提案

本文

**問題**。

**熱いか、冷たいかは、誰でも分かる**。

**どれだけ熱いかを、数で言うのは、難しい**。

(——**手は、あてにならない**。

〈**冷たい水に手を入れてから、ぬるま湯に入れると、熱く感じる**。〉)

**温度計の前史**。

**(1)ガリレオの温度計**(1590年代)。

(——**正確には、**サーモスコープ**である。

**空気の膨張で、水柱が動く**。

**気圧の変化にも動いてしまう**。**目盛が無い**。)

**(2)液体を封じる**。

(**1654年、トスカーナ大公フェルディナンド2世**が、**密封したアルコールの温度計**を作らせた。

——**気圧に、影響されなくなった**。

**アカデミア・デル・チメント**の仕事である。)

**(3)そして、目盛**。

**問題は、「どこを基準にするか」である**。

(——**再現できる、二つの点が要る**。

**候補**——**氷が融ける点、水が沸く点、人の体温、地下室の温度、バターが融ける点**……

〈**「地下室の温度」は、実際に使われた**(フィレンツェの温度計)。

——**地下室が違えば、違う**。〉)

**ファーレンハイト**。

**ダニエル・ガブリエル・ファーレンハイト**(1686〜1736年)。

**ダンツィヒ(グダンスク)の生まれ**。**アムステルダムで働いた**。

(——**両親が、きのこの中毒で、同じ日に死んだ**。

**15歳で、商人の徒弟に出された**。

**そして、温度計の製作に、のめり込んだ**。〈徒弟の契約から逃げて、指名手配されたことがある。〉)

**彼の功績**。

**(1)水銀**。

(——**それまでは、アルコールが使われた**。

**水銀は、**膨張が、温度に対してほぼ直線的**である**。

**そして、広い範囲で液体である**(-39℃から357℃)。

**さらに——ガラスに、つかない**。

〈**アルコールは、管の壁に残る**。〉)

**(2)作り方の精密さ**。

(——**彼の温度計は、**個体差が小さかった**。

**当時、これは、驚くべきことである**。

**同じ温度を、同じ数値で示す温度計を、複数作れた**。

〈**製法を、秘密にした**。〉)

**(3)目盛**(1724年)。

(**0度**——**水、氷、塩化アンモニウムの混合物**が達する温度。

〈**当時、実験室で作れる、最も低い温度**とされた。〉

**32度**——**水と氷の混合物**。

**96度**——**人の体温**(口の中、あるいは脇の下)。

〈**なぜ、96か**。

——**32から96まで、64である**。**2の6乗**。

**目盛の刻みを、二等分を繰り返して作れる**。〉

**そして、この目盛で、水の沸点を測ると、212度になった**。

〈**32と212の差が、180**。**きりのいい数である**。

——**後に、0度と96度ではなく、32度と212度を、定義の基準にし直した**。

**その結果、体温は、98.6度になった**。〉)

**セルシウス**。

**アンデルス・セルシウス**(1701〜1744年)。

**ウプサラ大学、天文学教授**。

**1742年**、スウェーデン王立科学アカデミーに、論文を提出した。

**『温度計における二つの一定の度について』**。

**彼の目盛**。

**0度——水の、沸点**。

**100度——水の、氷点**。

(——**いまと、逆である**。)

(**なぜ、逆にしたのか**。

〈**確かなことは、分かっていない**。

**推測されている理由**——**当時のスウェーデンでは、寒い日が多い**。

**「氷点下」の負の数を、日常で使わずに済む**。

——**ただし、これは推測である**。彼自身は、理由を書いていない。〉)

**彼が、実際に、丁寧にやったこと**。

**(1)氷点が、気圧と緯度によって変わらないことを、確かめた**。

(**イタリアから、ラップランドまで**。

——**変わらなかった**。)

**(2)沸点が、気圧によって変わることを、確かめた**。

(——**そして、気圧との対応の表を、作った**。

**「水銀柱25.3インチのとき」を、基準の気圧とした**。

〈**つまり、彼は、「沸点で目盛を定めるには、気圧を指定しなければならない」ことを、はっきり書いた**。

——**これが、彼の論文の、実質の中身である**。

**「0と100を使った」ことより、こちらが重要だ、とされる。**〉)

**逆転**。

**1744年、セルシウスは、結核で死んだ**。**42歳**。

**その後、目盛が、上下逆にされた**。

(——**誰が、いつ、やったか**。

**確定していない**。

**候補**。

- **カール・フォン・リンネ**(1745年、温室の温度計を、この向きで注文した記録がある)。 - **ダニエル・エクストレーム**(リンネの温度計を作った職人)。 - **マルテン・ストレーメル**(セルシウスの後任)。

〈**いずれかが、あるいは複数が、独立にやった**、と考えられている。

**そして、リンネの記録が、最も明瞭である**。〉)

**そして、名**。

(**長く、「摂氏」あるいは「百分度」(centigrade)と呼ばれた**。

**問題**——**「centigrade」は、フランス語とスペイン語で、角度の単位(グラードの100分の1)と紛らわしい**。

**1948年、第9回国際度量衡総会**が、**「degree Celsius」を正式な名とした**。

——**発明者の名を、単位に付けた**。)

(**「摂氏」という日本語**。

——**Celsius の中国語音訳「摂爾修斯」の頭字**である。

**同じく、「華氏」は、Fahrenheit の音訳「華倫海特」から**。)

**ケルヴィン**。

**1848年**、**ウィリアム・トムソン(後のケルヴィン卿)**が、**絶対温度**を提案した。

(——**「これ以上、下がらない温度」がある**。

**気体の体積が、温度に比例して減る。外挿すると、体積がゼロになる点がある**。

**-273.15℃**。

**そこを、0とする**。

〈**目盛の刻みは、セルシウスと同じにした**。

——**だから、0℃ = 273.15 K**。

**そして、「度」を付けない**。**「273 ケルビン」**であって、「273度ケルビン」ではない。〉)

**そして、いま**。

**2019年、ケルビンは、ボルツマン定数で定義された**。

(——**水の三重点(273.16 K)という、物質に依存する定義を、離れた**。)

**そして、セルシウス度は、ケルビンから定義される**。

**t/℃ = T/K − 273.15**。

(——**つまり、いま、セルシウス度の実体は、ボルツマン定数である**。

**水は、もう、定義に出てこない**。)

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