概要
内陸で育つ短繊維の綿は、種が繊維に固く絡む。手で取ると、一人が一日に一ポンドしか処理できない。イーライ・ホイットニーの装置は、回転する円筒の鉤で繊維を引き抜き、種を残す。処理量が数十倍になった。結果は、彼が予期しなかったものである。綿花が儲かる作物になり、南部の耕地が西へ広がり、そして奴隷の需要が急増した。1790年に約70万人だった奴隷は、1860年に約400万人になる。労働を減らす機械が、奴隷制を延命させた。
場所
32.08°N -81.09°E · アメリカ・ジョージア州
関わった人(1)
イーライ・ホイットニーAD1765年12月8日–AD1825年1月8日 · 作った本文
**綿**。
**二つの種類**。
(**(1)**長繊維綿**(シーアイランド綿など)。
〈**——**繊維が、**長い**(3〜5センチ)。
**そして、**種が、**繊維から、比較的、外れやすい**。
**——**簡単なローラー式の装置**(インドの**チャルカ**、アメリカの roller gin)**で、外せる**。
**——**しかし、**海岸の、限られた土地でしか育たない**。〉
**(2)**短繊維綿**(アップランド綿)。
〈**——**内陸の、広い範囲で育つ**。
**そして、**種が、**繊維に、固く絡んでいる**。
**——**ローラーでは、**種が潰れて、油が繊維に付く**。
**——**手で、**一つずつ、外すしかない**。〉)
**手作業**。
(——**一人が、一日に、**約1ポンド**(約450グラム)の綿花を、処理できる**。
〈**——**そして、**繊維として取れるのは、**その三分の一程度**である**。〉
**——**つまり、**綿花は、**内陸では、**商品にならなかった**。
〈**——**1790年代初頭、アメリカ南部の農園主は、**タバコと、藍と、米**を作っていた**。
**そして、**その値が、**下がっていた**。
**——**「奴隷制は、**経済的に、行き詰まりつつある」**という見方が、当時、あった**。
**〈——ヴァージニアで、**奴隷解放を論じる声**が、あった。〉**〉)
**ホイットニー**。
**1793年**。
(——**イーライ・ホイットニー**(当時27歳)は、**イェールを出たばかりである**。
**そして、**家庭教師の職を求めて、**サウスカロライナへ向かった**。
〈**——**船で、**サヴァナへ**。
**そこで、**キャサリン・グリーン**(独立戦争の将軍**ナサニエル・グリーン**の未亡人)と、知り合った**。
**——**そして、彼女の農園(ジョージア州、マルベリー・グローヴ)に、滞在した**。〉
**そこで、**話を聞いた**。
〈**——**「種を外す装置があれば、**内陸の綿が、売れるようになる」**。
**——**近隣の農園主たちが、**そう話していた**。〉
**——**十日ほどで、**試作した**、と伝えられる**。
〈**——**そして、**キャサリン・グリーンが、**重要な助言をした**、という話がある**。
**〈——ブラシを使う案。**
**——彼女が発明者だ、という主張もあるが、確証は無い。〉**〉)
**構造**。
(——**単純である**。
〈**(1)**回転する円筒**に、**鉤(針金の鉤、あるいは鋸歯)**が、並んでいる**。
**(2)**その前に、**細い隙間の格子**がある**。
**(3)**綿を、格子の外側に入れる**。
**(4)**鉤が、**繊維を、格子の隙間から、引き抜く**。
**——**種は、**格子を通れない**。**残る**。
**(5)**そして、**別の回転ブラシが、**鉤から、繊維を、掃き落とす**。〉
**——**極めて、簡単な機械である**。
〈**——**鍛冶屋なら、**図を見れば、作れる**。
**——**それが、**ホイットニーの、致命的な問題になった**。〉)
**結果**。
(——**処理量が、**一人あたり、**数十倍**になった**。
〈**——**手回しで、**一日に50ポンド**。
**——**馬や水車で回せば、**さらに、桁違い**。〉
**そして**。
〈**——**アメリカの綿花の輸出**。
**1793年——**約50万ポンド**。
**1800年——**約1,800万ポンド**。
**1820年——**約1億3,000万ポンド**。
**1860年——**約20億ポンド**。
**——**アメリカが、**世界の綿花の、約三分の二**を、供給するようになった**。
**〈そして、その大半が、**イギリスのランカシャーの工場**へ行った。〉**〉)
**そして、奴隷制**。
(——**ここが、**この機械の、本当の帰結である**。
〈**——**種を外す工程が、**もう、律速ではなくなった**。
**——**すると、**律速は、**綿を摘む工程**になる**。
**そして、**摘むのは、**機械化できなかった**。
**〈——綿花の収穫の機械化は、**1940年代**である。〉**
**——**だから、**人手が、要る**。
**そして、**綿花が、儲かるようになった**から、**耕地が、西へ広がった**。
**〈ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ、そしてテキサス。**
**——「コットン・キングダム」。〉**
**——**そのすべてに、**奴隷が、必要になった**。〉
**数字**。
〈**——**1790年、アメリカの奴隷、**約70万人**。
**1810年——**約120万人**。
**1860年——**約400万人**。
**——**そして、**1808年に、**奴隷の輸入は、禁じられている**。
**——**つまり、**この増加の大部分は、**国内で生まれた人間**である**。
**そして、**「国内奴隷貿易」**。
**〈——ヴァージニアとメリーランドから、**深南部へ、人が売られた**。**
**推定で、**100万人**が、**強制的に、移動させられた**。**
**——家族が、引き裂かれた。〉**〉
**——**労働を減らす機械が、**労働を強制される人間の数を、増やした**。
〈**——**そして、**南北戦争**。〉)
**ホイットニー自身**。
(——**儲からなかった**。
〈**(1)**特許は、取った**(1794年)。
**(2)**そして、**構造が、単純すぎた**。
**——**誰でも、**見れば、作れる**。
**——**南部中で、**模造品が、作られた**。
**(3)**そして、**訴訟**。
**——**六十件以上**を、起こした**。
**〈——南部の陪審は、**地元の農園主に、有利な評決を出した**。〉**
**(4)さらに、**彼の商売のやり方**。
**——**機械を売るのではなく、**加工の手数料を取る**方式にした**。
**〈収穫の三分の一を、取る。〉**
**——**農園主が、**反発した**。〉
**——**1797年までに、**事業は、行き詰まった**。
**そして、**1802年、議会に、特許の延長を請願し、**却下された**。〉)
**その後**。
(——**1798年、**政府から、**マスケット銃一万挺**を、請け負った**。
〈**——**そして、**「部品の互換性」**を、売り物にした**。
**——**「どの銃の部品も、**他のどの銃にも、合う」**。
**〈——1801年、**議会と大統領(ジェファソン)の前で、**
**——複数の銃の部品を、混ぜて、組み立ててみせた**、と伝えられる。**
**——そして、**この実演は、あらかじめ合わせておいた部品を使った**、という指摘が、後の研究にある。〉**
**期日**——**二年の契約**。
**——**実際に、納めたのは、**十年後**である**。
**そして、**互換性が、どこまで実現していたか**。
**〈——現存する銃を調べた研究では、**部品に、手作業の合わせ込みの跡**がある。**
**——完全な互換性は、**達成されていなかった**。〉**
**——**それでも、**「互換性のある部品」**という考え方**を、**アメリカに、広めた**。
**〈——「アメリカ的製造方式」の、出発点の一つとされる。**
**そして、実際にそれを完成させたのは、**スプリングフィールド造兵廠**と、**
**ジョン・ホールらである。〉**〉)
**そして**。
(——**ホイットニーは、**善意で、これを作った**。
**そして、**彼が予期しなかった帰結**が、**七十年後の、六十万人の死者**につながっている**。
〈**——**発明が、**それを作った人間の意図から、**完全に、独立に、働く**。
**——**そのことの、**最も明瞭な例の一つ**である**。〉)