ニューコメンの蒸気機関
概要
炭鉱の水を汲み上げるための機械だった。燃料を食いすぎて炭鉱の脇でしか使えない。それでも、石炭で動く最初の実用の動力になる。
場所
52.51°N -2.08°E · イギリス・ウェスト・ミッドランズ
本文
17世紀の終わりのイングランドでは、森が減って薪が高くなり、代わりに石炭が燃料として使われるようになっていた。炭鉱は深く掘られるようになったが、深く掘るほど坑道に地下水がたまる。水は馬に引かせた桶や鎖のポンプで汲み上げたが、ある深さを越えると追いつかない。水を汲み上げる力が、掘れる深さを決めていた。
火の力で水を汲み上げられないかという試みは、それまでにもあった。1698年、軍の技術者トマス・セイヴァリは、蒸気を冷やしてできる真空で水を吸い上げる装置の特許を取った。だが、高い圧力の蒸気を使うため危険で、吸い上げられる高さにも限りがあり、深い炭鉱では役に立たなかった。

トマス・ニューコメンは、イングランド南西部のダートマスで金物を商う職人で、近くのコーンウォールの錫の鉱山に道具を納めていた。鉱山の水に悩む人びとを見ていたのだろう。彼は仲間のジョン・コーリーとともに、十年ほどをかけて新しい機械を作り上げた。
仕組みはこうだ。ボイラーの真上に縦のシリンダーを置き、その中にピストンを入れる。ピストンは大きな梁の片側につながり、梁の反対側には、坑道の底まで下りるポンプの棒がつながっている。シリンダーに蒸気を入れると、ポンプの棒の重みでピストンが引き上げられる。そこでシリンダーの中に冷たい水を吹きつけると、蒸気は一瞬で水に戻り、中はほとんど真空になる。外の大気の圧力がピストンを押し下げ、梁が傾いて、反対側のポンプの棒が水を汲み上げる。これを1分に十数回繰り返す。蒸気の力そのものではなく、大気の重さで動くので、大気圧機関とも呼ばれる。

シリンダーの中に冷水を吹き込む工夫は、偶然から生まれたと伝えられる。初めは外側から冷やしていたが、あるときシリンダーの継ぎ目の穴から冷却の水が中に漏れ、ピストンが激しく下がって機械が壊れかけた。それで中から冷やすほうがよいと分かった、という話になる。
1712年、イングランド中部のダドリーの近くの炭鉱で、記録に残る最初の一台が動いた。坑道から水を汲み上げ、それまで手の届かなかった深さの石炭を掘れるようにした。セイヴァリの特許が火で水を汲むことを広く押さえていたため、ニューコメンは彼の側と組んで機械を売ることになった。

ニューコメンの機関は、燃料を食いすぎた。シリンダーを毎回冷水で冷やし、次にまた蒸気で温め直すので、熱のほとんどが無駄になる。石炭の持つ熱のうち、仕事になったのは1%にも満たなかったとされる。それでも炭鉱では問題にならなかった。燃やすのは売り物にならないくず炭で、すぐそばにいくらでもあったからだ。逆に、石炭を遠くから運ばなければならないコーンウォールの錫の鉱山では、燃料の費用が重くのしかかった。
それでも機械は広まった。18世紀のあいだに、イギリスの炭鉱と鉱山を中心に数百台、数え方によっては千台を超える機関が作られ、ヨーロッパの大陸にも渡った。町に水を送るためにも使われた。ニューコメンは1729年に死んだが、機関はその後も改良されながら、19世紀に入っても多くの炭鉱で動き続けた。
1763年、グラスゴー大学で器具の修理をしていたジェームズ・ワットは、直すよう頼まれたニューコメンの機関の模型を前に、無駄の大きさに気づいた。彼が考えたのは、蒸気を冷やす部屋をシリンダーとは別に設けることだった。シリンダーはいつも熱いまま、冷やすのは別の部屋だけにする。1769年に特許を取ったこの工夫で、燃料は大きく減った(ワットの蒸気機関)。ワットの機関はやがて回転の動きを生み出して工場の機械を回すようになり、産業革命の動力になっていく。その出発点は、炭鉱の水を汲むための、燃料を食う不格好な機械だった。

『大分岐』は、この機械を石炭のそばで生まれた偶然の例に置く(物語「『大分岐』で読む歴史」)。イギリスでは、燃料を食う機械でも割に合うほど、炭田が近くにあった。そこで使われるうちに改良が積み重なり、やがて炭田の外でも使えるほど効率のよい機関が生まれた。中国にも豊かな炭田はあったが、その多くは北部と北西部の内陸にあり、経済の中心だった長江の下流からは遠く離れていた。どこに石炭が埋まっていたかが技術の道筋を左右した、という議論になる。