概要
将軍が自ら政権を朝廷へ返した。武力討幕の名分を先に消す一手だったが、流れは止まらなかった。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
徳川慶喜1837年–1913年 · 当人本文
土佐藩の建白を受けて、慶喜は政権の返上を上表した。 討幕の密勅が出た、まさにその日に近い。
狙いは、武力討幕の名分を先に消すことにあった。 政権を返してしまえば、討つ理由が無くなる。 そのうえで、諸侯の会議で新体制を作れば、 最大の領地と実力を持つ徳川家が中心に残る。
計算としては筋が通っている。 だから薩長は、それを潰す手を打った。 2か月後の王政復古の大号令で、 慶喜に辞官納地——官職と領地の返上を命じる。
政権だけでなく、領地も出せと言われれば呑めない。 呑めない要求を出すことが目的だった。