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Event / できごと

大政奉還

Taisei Hōkan
1867年11月9日(慶応3年10月14日)
重要度 5

概要

将軍が自ら政権を朝廷へ返した。武力討幕の名分を先に消す一手だったが、流れは止まらなかった。

場所

京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府

関わった人(1)

徳川慶喜1837年–1913年 · 当人

本文

土佐藩の建白を受けて、慶喜は政権の返上を上表した。 討幕の密勅が出た、まさにその日に近い。

狙いは、武力討幕の名分を先に消すことにあった。 政権を返してしまえば、討つ理由が無くなる。 そのうえで、諸侯の会議で新体制を作れば、 最大の領地と実力を持つ徳川家が中心に残る。

計算としては筋が通っている。 だから薩長は、それを潰す手を打った。 2か月後の王政復古の大号令で、 慶喜に辞官納地——官職と領地の返上を命じる。

政権だけでなく、領地も出せと言われれば呑めない。 呑めない要求を出すことが目的だった。

動画(1)

俺は裏を読む!じゃあ俺は裏の裏!大政奉還の裏側 〜将軍との頭脳戦〜【64-7 COTEN RADIO 西郷隆盛編7】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIO大政奉還が慶喜側の先手だったこと、薩摩がそれをどう読み返したかを扱う

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