概要
同じ社会主義の国どうしとして手を組んでいた中国とソ連は、1950年代の終わりから、路線と主導権をめぐって激しく対立していた。1969年3月2日、国境のウスリー川の中州の島で、両国の兵が撃ち合い、多くの死者が出る。ソ連が核兵器で中国を叩くことまで検討したと伝えられ、両国は戦争の瀬戸際に立った。この対立が、中国をアメリカとの接近に向かわせる。三年後、アメリカの大統領が北京を訪れた。
場所
珍宝島
46.49°N 133.84°E · 中国・黒竜江省(ウスリー川)
46.49°N 133.84°E · 中国・黒竜江省(ウスリー川)
本文
兄弟の対立。
同じ社会主義の国どうしとして手を組んでいた中国とソ連。
(1)1950年代の終わりから、路線と主導権をめぐって激しく対立していた。
(2)そして、1969年3月2日、国境のウスリー川の中州の島で、両国の兵が撃ち合った。
戦争の瀬戸際。
多くの死者が出た。
(1)ソ連が、核兵器で中国を叩くことまで検討したと伝えられる。
(2)そして、両国は、戦争の瀬戸際に立った。
残ること。
この対立が、中国をアメリカとの接近に向かわせた。
三年後、ニクソン訪中。冷戦は、東と西の二つの陣営の争いではなくなった。