概要
横浜の魚屋の娘は、幼いころから大人の歌を大人のように歌った。1949年、十二歳で映画に出て主題歌を歌い、たちまち人気者になる。焼け跡の町で、子どもの歌声は人びとの心をつかんだ。演歌からジャズまで、四十年にわたって歌い続け、昭和の歌の女王と呼ばれる。1989年、昭和が終わった年に五十二歳で亡くなり、同じ年に、女性として初めて国民栄誉賞が贈られた。戦後の日本の歩みと、一人の歌手の生涯が重なって記憶されている。
場所
東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
大人のように歌う子。
横浜の魚屋の娘。
(1)幼いころから、大人の歌を大人のように歌った。
(2)そして、1949年、十二歳で映画に出て、主題歌を歌った。
(3)さらに、たちまち人気者になった。
焼け跡の歌声。
焼け跡の町で、子どもの歌声は人びとの心をつかんだ。
(1)演歌からジャズまで。
(2)そして、四十年にわたって歌い続けた。
(3)さらに、昭和の歌の女王と呼ばれた。
残ること。
1989年、昭和が終わった年に、五十二歳で亡くなった。
(1)同じ年に、女性として初めて国民栄誉賞が贈られた。
(2)そして、戦後の日本の歩みと、一人の歌手の生涯が重なって記憶されている。