概要
1949年1月、ソ連と東欧の五か国は、モスクワで経済相互援助会議、コメコンを作った。二年前、アメリカが示したマーシャル・プランへの参加を、ソ連は東欧の国々に禁じていた。その代わりの枠組みである。各国の計画経済をつなぎ、ソ連が石油やガスを安く送り、東欧が機械や消費財を送る分業が作られた。しかし通貨は自由に替えられず、取引は国どうしの物々交換に近かった。西側の市場から切り離された経済は、1980年代に行き詰まり、コメコンは1991年に解散した。
場所
55.76°N 37.62°E · ロシア
本文
1947年、アメリカはヨーロッパの復興を助けるマーシャル・プランを示し、ソ連と東欧の国々にも参加を呼びかけた。ソ連はこれを、アメリカがドルでヨーロッパを縛る仕組みだと見て拒み、東欧の国々にも参加を禁じた。
1949年1月、ソ連、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの代表がモスクワに集まり、経済相互援助会議を作った。英語の略称からコメコンと呼ばれる。のちに東ドイツ、モンゴル、キューバ、ベトナムも加わった。
コメコンの中では、国ごとの計画経済を組み合わせる分業が目指された。ソ連は石油やガスや原料を、市場の値段より安く送る。東欧の国々は、機械、トラック、衣服、食品を送る。ハンガリーのバス、東ドイツの化学製品、チェコスロヴァキアの機械。取引は、どの国も自由に替えられない通貨で、国と国が数量を決めて交換する形だった。1964年には、ソ連から東欧の国々へ石油を送る長いパイプラインが完成し、「友好」と名づけられた。
この仕組みは、東欧の国々に安い燃料と、確かな売り先を与えた。しかし、競争の無い市場で作られる製品は質が上がらず、西側の技術から取り残された。1970年代、東欧の国々は西側から金を借りて設備を買ったが、返せなくなる。1980年代、石油の値下がりでソ連の余裕も失われた。1989年に東欧の体制が崩れると、コメコンは役目を失い、1991年6月に解散した。