概要
曹雪芹。祖父が江寧織造として康熙帝の南巡を4度迎えた家が、雍正帝に財産を没収されて没落した。北京の西郊で、粥をすすりながら、10年、5回書き直した。賈家の大邸宅の栄えと衰え、宝玉と黛玉と宝釵、400人以上の人物。80回で筆が止まり、高鶚が120回に整えて1791年に刊行された。中国の小説の頂点とされ、これだけを研究する学問(紅学)がある。
場所
39.90°N 116.41°E · 中国
関わった人(1)
曹雪芹AD1715年頃–AD1763年頃 · 書いた本文
曹家。満洲の旗人に編入された漢人(包衣=家内奴僕の身分から出た)。曹雪芹の曾祖母は康熙帝の乳母。祖父曹寅は、康熙帝の幼馴染で、江寧織造(南京で、宮廷の絹織物の調達と、江南の情報の収集を担う役職)を務めた。康熙帝の6度の南巡のうち、4度、曹家が接待した。60年、江南の富の中にいた。
1712年、曹寅が死んだ。1727年、雍正帝の代。曹家は、赤字と、政争(皇位継承で別の皇子に近かった)から、財産を没収された(抄家)。曹雪芹は13歳ほど。一家は北京へ移された。
その後の生涯は、ほとんど分からない。友人の詩(敦誠と敦敏の兄弟。宗室の子孫)に、断片がある。北京の西の郊外に住んだ。「茅椽蓬牖、瓦竈縄床」(茅の垂木、蓬の窓、土の竈、縄の寝床)。酒を好み、絵を描き、詩を作り、談論が滔々としていた。「粥を食べて酒を常に貸しで買う」。
『石頭記(紅楼夢)』。「悼紅軒の中、十年辛苦、五たび増刪す」。10年、5回書き直した、と第1回の序に書いてある。
1763年(あるいは1764年)、除夕(大晦日)に死んだ。40代の終わりか、50歳頃。その年、天然痘で幼い息子を失って、その悲しみから病んだ、と伝える。妻が残された。敦誠の詩。「四十年華、太だ倉促(あまりに急だった)」。
物語。神話の枠から始まる。女媧が天を補修したときに余った石が、人間界に降りて、玉を口に含んで生まれた男の子——賈宝玉。そして、前世で石に水を注いでもらった草が、その恩を涙で返すために、林黛玉として生まれる。
賈家。栄国府と寧国府。四大家族(賈・史・王・薛)の一つ。皇帝の妃を出し、大観園という庭園を作る。宝玉と、そこに住む姉妹たちと侍女たち。宝玉は科挙と出世を憎み、女たちの世界にいる。「女は水で作られ、男は泥で作られている」。
黛玉(聡明で、病弱で、詩がうまく、嫉妬深い)と、宝釵(円満で、賢く、世間を知っている)。宝玉は黛玉を愛するが、家は宝釵との結婚を決める。黛玉が死ぬ夜、宝玉は花嫁が黛玉だと信じて婚礼を挙げている。
そして、家が傾く。財産の没収、一族の離散、侍女たちの死と嫁入りと自殺。宝玉は科挙に受かった後、雪の中で父に一礼して、僧と道士と共に去る。
登場人物400人以上。庭園の建築、衣服、料理、薬、詩会、演劇、賭博、葬礼、家の帳簿。18世紀の中国の上流の生活が、細部まで書かれている。
版本。曹雪芹の生前から、写本が回覧された。80回まで。その多くに、「脂硯斎」という人物(親族と考えられる)の朱の批注がついていて、そこに、後半の筋の断片が漏らされている(「後の30回」の存在を示唆する)。
1791年、程偉元と高鶚が、120回本を活字で刊行した。後の40回は、高鶚の補作というのが長い定説で、近年は「曹雪芹の遺稿を整理した部分がある」という説もある。前80回と後40回の質と方向の違いは、200年、論争されている。
紅学。これだけを研究する学問がある。清末からの「索隠派」(登場人物を実在の政治家に当てはめる)、胡適の「新紅学」(1921年。曹家の家譜を調べて、自伝的な小説だと論証した)、そして毛沢東の時代の階級闘争の読み(毛は「5回読んだ」と言った)。いま、中国の中学と高校の必読書。