ベトナム民主共和国の独立宣言
概要
アメリカ独立宣言の一節を引いて始まる文書だった。だが承認されず、30年の戦争が続く。
場所
21.03°N 105.83°E · ベトナム
関わった人(1)
ホー・チ・ミンAD1890年5月19日–AD1969年9月2日 · 宣言本文
19世紀の後半、フランスはベトナムを段階的に征服し、カンボジア、のちにラオスと合わせてフランス領インドシナとした。ベトナムは北部・中部・南部の三つに分けられ、阮朝の皇帝はフエの宮廷に残されたが、実権はフランスの総督が握った。米とゴムの輸出で潤ったのは主にフランス人と一部の地主で、農民の多くは重い税と借金に苦しんだ。
この支配に挑んだ人物の一人が、のちにホー・チ・ミンと名乗る男である。若いころにフランスの船の厨房で働いて国を出て、ロンドン、パリで暮らした。1919年、第一次世界大戦の講和会議が開かれたヴェルサイユに、ベトナム人の権利を求める請願を届けたが、相手にされなかった。その後、共産主義に希望を見いだし、モスクワや中国で活動したのち、1930年にインドシナ共産党を結成した。

第二次世界大戦が始まると、情勢は一変した。1940年、ドイツに敗れたフランスの本国政府が弱ったのにつけこんで、日本軍が北部インドシナへ、翌年には南部へ進駐した。フランスの植民地政府はそのまま残され、日本とフランスが二重に支配する時代が続く。1941年、30年ぶりに国境を越えて帰国したホー・チ・ミンは、北部の山中の洞窟を拠点に、独立を目指す幅広い戦線ベトミン(ベトナム独立同盟)を作った。
1945年は、ベトナムにとって激動の年だった。北部では前年から大飢饉が起き、日本軍による米の徴発や戦争による輸送の途絶、天候の不順が重なって、数十万から200万ともいわれる人々が死んだ。3月、日本軍はフランス軍を武力で排除し、阮朝の皇帝バオダイに独立を宣言させた。そのころベトミンは、日本軍の情報を提供する見返りに、アメリカの情報機関(戦略情報局)と接触していた。7月には、アメリカの将校たちがパラシュートでベトミンの拠点に降り、重い病にかかっていたホー・チ・ミンの手当てをしたとも伝えられる。

8月15日に日本が降伏すると、ベトミンは各地で一斉に立ち上がり、19日にはハノイを掌握した。八月革命と呼ばれる。月末にはバオダイが退位し、1000年近く続いたベトナムの君主制は終わった。
1945年9月2日の午後、ハノイのバーディン広場には、旗を持った数十万の人々が集まっていた。痩せた体に質素な服を着たホー・チ・ミンは演壇に立ち、ベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げた。その冒頭は、こうである。「すべての人は平等に造られている。人は創造主によって、奪うことのできない権利を与えられており、その中には生命、自由、幸福の追求が含まれる」。アメリカ独立宣言の一節だった。続いて宣言は、1791年のフランスの人権宣言の、人は自由で権利において平等に生まれるという言葉を引いた。そのうえで、その理念を掲げたフランスが、80年以上にわたってベトナムで何をしてきたかを一つずつ挙げていった。

引用には、はっきりした狙いがあったと考えられている。自分たちの独立は、連合国自身が掲げてきた理念にかなうものだと、世界に、とりわけアメリカに示すことである。ホー・チ・ミンは、反植民地の立場をとっていたアメリカがフランスの復帰を許さないことに望みをかけていた。
だが、大国の取り決めはそれと違う方向へ動いていた。ポツダム会談の決定により、日本軍の武装解除のため、北緯16度線の北には中国の国民党軍が、南にはイギリス軍が入った。イギリス軍はサイゴンでフランス軍の復帰を助け、9月の末には南部で戦闘が始まる。ホー・チ・ミンはアメリカの大統領ハリー・トルーマンに何度も電報や手紙を送り、独立の承認と支援を求めたが、返事は来なかった。アメリカにとって、ヨーロッパで共産主義と向き合うにはフランスの協力が欠かせず、ホー・チ・ミンは何より共産主義者だった。

1946年3月、フランスはいったんベトナム民主共和国をフランス連合の中の「自由な国」として認める協定を結んだが、統一と完全な独立をめぐる交渉はまとまらなかった。11月にフランス軍がハイフォンを砲撃し、12月、全面的な戦争が始まった。第一次インドシナ戦争である。冷戦が深まると、アメリカはフランスの戦費の大きな部分を負担するようになった。
1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスは敗れ、ベトナムは北緯17度線で南北に分けられた。その後はアメリカがフランスに代わり、ベトナム戦争へと突き進んでいく。1975年4月のサイゴン陥落で戦争が終わり、翌年に国が統一されるまで、独立宣言から30年がかかった。宣言に引かれた言葉の国と、ベトナムは最も長く戦うことになったのである。9月2日は、いまもベトナムの国の祝日になっている。