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Event / できごと

征韓論政変

Seikanron
AD1873年
重要度 4
ロシア帝国大英帝国清スペイン帝国ラタナコーシン朝(シャム)ビルマ日本安南朝鮮王朝フィリピンカンボジアAD1873年東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1873年の版図を描いています(11勢力)。

概要

明治の政府の中心の人びとが岩倉使節団として欧米を回っているあいだ、留守を預かった西郷隆盛らは、国交を拒む朝鮮に使節を送り、場合によっては武力に訴えることを決めた。1873年、帰国した大久保利通や岩倉具視は、国内を固めるのが先だとしてこれを覆す。敗れた西郷、板垣退助、江藤新平らは、そろって政府を去った。彼らの一部は武力の反乱へ、一部は議会を求める言論の運動へ向かう。明治の政府が二つに割れた転機である。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

留守の政府。

明治の政府の中心の人びとが、岩倉使節団として欧米を回っているあいだ。

(1)留守を預かった西郷隆盛らは決めた。

(2)そして、国交を拒む朝鮮に使節を送る。

(3)さらに、場合によっては武力に訴える。

覆された決定。

1873年、帰国した大久保利通や岩倉具視。

(1)国内を固めるのが先だとして、これを覆した。

(2)そして、敗れた西郷、板垣退助、江藤新平らは、そろって政府を去った。

残ること。

彼らの一部は武力の反乱へ、一部は議会を求める言論の運動へ向かった。

西南戦争と民撰議院設立建白書は、同じ分裂から生まれた二つの道である。

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