概要
ヴィクトリア女王が八人目の子を産むとき、ジョン・スノウがクロロホルムを与えた。布に垂らし、陣痛のたびに嗅がせる。女王は「あの祝福されたクロロホルム」と日記に書いた。出産の痛みを消すことには強い反対があった。産みの苦しみは創世記に定められたものであり、取り去るのは神への背きだという主張である。医学の側からも、痛みは分娩を進める力だと言われた。女王が使ったことで、その議論は事実上終わった。誰が痛みを引き受けるべきかは、医学ではなく地位が決めた。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
**創世記**。
(——**第三章、**十六節**。
〈**——**「わたしは、あなたの産みの苦しみを、**大いに増す**。
**——**あなたは、**苦しんで、子を産む**」。〉
**——**これが、**論争の、中心にあった**。
〈**——**出産の痛みは、**定められたものである**。
**——**取り去るのは、**その定めに、逆らうことである**。〉
**——**だが、**注意が要る**。
〈**——**「教会が、**組織として、反対した**」という、**単純な話ではない**。
**——**反対したのは、**一部の聖職者と、**一部の医師である**。
**——**そして、**賛成した聖職者も、いた**。
**〈——「アダムの肋骨を取るとき、**神は、彼を眠らせた**」という反論が、繰り返し使われた。**
**——最初の外科手術に、**最初の麻酔**があった、と。〉〉)**
**医学の側の、反対**。
(——**こちらのほうが、**強かった**。
〈**(1)**痛みは、**分娩を、進める力である**。
**〈——痛みが、子宮の収縮を、促す。**
**——消せば、**お産が、止まる**。〉**
**(2)**そして、**危ない**。
**〈——クロロホルムは、**心臓を、突然、止めることがある**。**
**——1848年、**ハンナ・グリーナー**。**
**——十五歳。**
**——足の爪を、抜くための麻酔で、死んだ。**
**——記録に残る、最初のクロロホルム死である。〉**
**(3)さらに、**女性が、**理性を、失う**。
**〈——麻酔下で、**淫らな言葉を口にする**、という報告が、**繰り返し、書かれた**。**
**——付き添いを、置くべきだと、論じられた。〉**
**(4)そして、**痛みは、**母性を、生む**。
**〈——苦しんで産むからこそ、**子を、愛する**。**
**——これは、**医師が、真面目に、書いていた**。〉〉**
**——**先に、やっていた人**。
〈**——**ジェイムズ・ヤング・シンプソン**(エディンバラ)。
**——**1847年、**クロロホルムを、産科に、使い始めた**。
**——**そして、**反対の矢面に、立った**。
**〈——彼が、**アダムの肋骨の反論**を、広めた一人である。〉〉)**
**ジョン・スノウ**。
(——**1813〜1858年**。
〈**——**麻酔を、**専門の技術として、扱った、最初期の医師**。
**——**エーテルとクロロホルムの、**濃度と量を、測った**。
**——**そして、**自分で、吸入器を、設計した**。〉
**——**同じ人物が**。
〈**——**六年後、**ブロード街のポンプ**の柄を、外させる**。
**——**コレラが、**空気ではなく、水で伝わる**ことを、示した**。
**——**同じやり方である**。
**〈——観察し、**数え、**そして、**一つの原因に、絞る**。〉〉)**
**1853年4月7日**。
(——**バッキンガム宮殿**。
〈**——**ヴィクトリア女王**、**八人目の子**。
**——**レオポルド王子**。〉
**——**やり方**。
〈**——**布に、**クロロホルムを、垂らす**。
**——**陣痛が来るたびに、**鼻と口に、当てる**。
**——**十五滴ほどずつ**。
**——**意識は、**失わない**。
**〈——スノウは、これを**「クロロフォーム・ア・ラ・レーヌ」**(女王式)と呼ばれる方式にした。**
**——完全に眠らせるのではなく、**痛みだけを、鈍らせる**。〉**
**——**五十三分**、断続的に、与えた**。〉
**——**女王の日記**。
〈**——**「祝福された、あのクロロホルム。
**——**その効き目は、**鎮めるもので、**言葉にできないほど、**心地よかった**」。〉)
**その後**。
(——**議論が、**終わった**。
〈**——**理屈で、**説得されたのではない**。
**——**女王が、**使った**。
**——**それで、**片が付いた**。〉
**——**『ランセット』**は、**批判的な論説を、載せている**。
〈**——**だが、**宮廷は、**公式には、何も、認めなかった**。
**——**否定も、しなかった**。
**——**そして、**四年後、**九人目のときにも、**同じことをした**。〉
**——**広まり方**。
〈**——**上流の女性から**。
**——**そして、**下へ**。
**——**「女王がなさったこと」**という一言が、**最も強い議論だった**。〉)
**誰が、引き受けるのか**。
(——**同じ時期**。
〈**——**麻酔が、**誰にでも、与えられたわけではない**。〉
**——**繰り返し、記録されていること**。
〈**(1)**貧しい患者**には、**使われないことが、多かった**。
**〈——費用。**
**——そして、**手間**。〉**
**(2)**そして、**人種による差**が、**当時から、あった**。
**〈——「黒人は、**痛みに、強い**」という主張が、**医学書に、書かれていた**。**
**——J・マリオン・シムズが、**麻酔なしで、奴隷の女性たちに、繰り返し手術をした**のは、**
**——エーテルの公開の、**前後の時期**である。**
**——彼の像は、**2018年、ニューヨークの公園から、撤去された**。〉**
**(3)さらに、**この差は、**いまも、測られている**。
**〈——アメリカの救急部門で、**同じ骨折に対して、**処方される鎮痛薬に、差がある**という研究が、**
**——繰り返し、報告されている。〉〉**
**——**つまり**。
〈**——**痛みを消せるようになった後で、
**——**「誰の痛みを、消すか」**という問いが、**新しく、生まれた**。
**——**技術が、**答えを、与えたわけではない**。〉)
**残ること**。
(——**痛みには、**意味があるとされていた**。
〈**——**贖い。
**——**目覚め。
**——**そして、**母になること**。〉
**——**それが、**この五十年で、**剥がれた**。
〈**——**[[laughing-gas]]で、**気づかれず**、
**——**[[ether-day]]で、**示され**、
**——**そして、**ここで、**残っていた最後の反対が、畳まれた**。〉
**——**そして**。
〈**——**痛みが、**意味を失い、**ただの症状になったとき**、
**——**それは、**「消してよいもの」**になり、
**——**やがて、**「消さねばならないもの」**になった**。
**——**その先が、**[[opioid-crisis]]**である**。〉)