概要
1871年、台湾の南部に流れ着いた琉球の漁民五十人余りが、先住の人びとに殺された。清は、台湾の先住の人びとは自分たちの統治の外にあると答える。1874年、日本は三千の兵を台湾に送り、先住の人びとの村を攻めた。戦いで死んだ者より、マラリアで死んだ兵のほうがはるかに多かった。清は最終的に賠償金を払い、日本の出兵を正当なものと認める形になる。これは、琉球の人びとを日本の国民として扱う根拠にも使われた。明治の日本が初めて行った海外への派兵だった。
場所
恒春半島位置は特定されていない(誤差 ±km)
22.00°N 120.75°E · 台湾・屏東県
22.00°N 120.75°E · 台湾・屏東県
本文
流れ着いた漁民。
1871年、台湾の南部に流れ着いた琉球の漁民五十人余り。
(1)先住の人びとに殺された。
(2)そして、清は、台湾の先住の人びとは、自分たちの統治の外にあると答えた。
1874年。
日本は、三千の兵を台湾に送った。
(1)先住の人びとの村を攻めた。
(2)そして、戦いで死んだ者より、マラリアで死んだ兵のほうがはるかに多かった。
賠償と根拠。
清は最終的に、賠償金を払った。
(1)日本の出兵を、正当なものと認める形になった。
(2)そして、これは、琉球の人びとを日本の国民として扱う根拠にも使われた。〈——琉球処分。〉
残ること。
明治の日本が、初めて行った海外への派兵だった。
二十年後、台湾は日本の植民地になる。