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Event / できごと

台湾出兵

Japanese invasion of Taiwan (1874)
AD1874年
重要度 3
ロシア帝国大英帝国清マラーター同盟中央アジアの諸ハン国スペイン帝国イギリス東インド会社ラタナコーシン朝(シャム)パプアの人びとビルマ日本マラヤ安南朝鮮王朝Assamフィリピンカンボジアオランダ領東インドネパールOudhマイソール藩王国アラカンセイロンAD1874年恒春半島(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1874年の版図を描いています(23勢力)。

概要

1871年、台湾の南部に流れ着いた琉球の漁民五十人余りが、先住の人びとに殺された。清は、台湾の先住の人びとは自分たちの統治の外にあると答える。1874年、日本は三千の兵を台湾に送り、先住の人びとの村を攻めた。戦いで死んだ者より、マラリアで死んだ兵のほうがはるかに多かった。清は最終的に賠償金を払い、日本の出兵を正当なものと認める形になる。これは、琉球の人びとを日本の国民として扱う根拠にも使われた。明治の日本が初めて行った海外への派兵だった。

場所

恒春半島位置は特定されていない(誤差 ±km)
22.00°N 120.75°E · 台湾・屏東県

本文

流れ着いた漁民。

1871年、台湾の南部に流れ着いた琉球の漁民五十人余り。

(1)先住の人びとに殺された。

(2)そして、清は、台湾の先住の人びとは、自分たちの統治の外にあると答えた。

1874年。

日本は、三千の兵を台湾に送った。

(1)先住の人びとの村を攻めた。

(2)そして、戦いで死んだ者より、マラリアで死んだ兵のほうがはるかに多かった。

賠償と根拠。

清は最終的に、賠償金を払った。

(1)日本の出兵を、正当なものと認める形になった。

(2)そして、これは、琉球の人びとを日本の国民として扱う根拠にも使われた。〈——琉球処分。〉

残ること。

明治の日本が、初めて行った海外への派兵だった。

二十年後、台湾は日本の植民地になる。

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