オーストラリア先住民の岩絵
概要
数万年にわたって描き継がれてきた。人類最古級の継続する文化で、この年表の左端より前から始まっている。
場所
-25.34°N 131.04°E · オーストラリア・ノーザンテリトリー
本文
オーストラリア大陸に人が住みついたのは、少なくとも5万年前、あるいは6万年以上前とみられている(サフルへの渡海)。そのころ海面は今より低く、オーストラリアとニューギニア、タスマニアは一つの大陸だった。そこに住みついた人々の子孫が、先住民のアボリジナルの人々とトレス海峡諸島の人々である。彼らは、大陸の各地の岩陰や崖に、絵を描き、線を刻み続けてきた。
どこまでさかのぼるかを確かめるのは難しい。顔料で描かれた絵は、それ自体を年代測定にかけにくいからである。北西部のキンバリー地方では、絵の上に作られた泥蜂の巣を測ることで、カンガルーを描いた絵が1万7000年以上前のものだと分かった。西オーストラリアのムルジュガ(バラップ半島)には、100万点ともいわれる岩の刻画があり、その最も古いものは数万年前にさかのぼるとみられている。顔料に使われた赤い土(オーカー)は、さらに古い住居の跡からも出ている。

描かれたものは、時代とともに移り変わる。北部のアーネムランドの岩には、何千年も前に大陸から姿を消したフクロオオカミが描かれている。海面が上がって海岸線が変わったあとの時代には、魚やワニ、海の生き物が増える。やがて、インドネシアのスラウェシ島から毎年ナマコを採りに来た船の姿が現れ、さらに、帆船と、馬と、銃を持った人が描き込まれる。同じ岩の面に、何千年、何万年もの層が重なっている場所もある。
アーネムランドには、X線画法と呼ばれる描き方がある。魚やカンガルー、亀の輪郭の中に、背骨や内臓、脂肪のつき方までを描き込む。食べるときの切り分け方や、どの部分が誰に分けられるかを示しているという説もある。キンバリー地方には、口のない顔に光の輪のようなものを頂いた、ワンジナと呼ばれる精霊の姿が描かれ、雨と豊かさをもたらす存在とされている。

岩絵は、単なる絵ではない。多くの場合、それは「ドリーミング」と訳される世界観と結びついている。祖先の存在が大地を旅して、山や川や動物を形づくり、生き方の決まりを定めた。岩絵は、その物語を記し、土地との結びつきを示し、儀礼や教えに使われた。誰が描いてよいか、誰が見てよいかが決まっている絵もある。中央部の巨大な岩ウルルの周りにも、そうした物語と結びついた絵が残っている。
描かれるのは岩だけではない。体や地面、木の皮、儀礼の道具にも、同じ意味を持つ模様が描かれてきた。1970年代、中央砂漠のパプニャの共同体で、人々がドリーミングの模様をアクリル絵の具で板やカンバスに描き始めると、点を連ねて描く絵画は世界の美術市場で高く評価されるようになった。岩に描き継がれてきた伝統は、形を変えて今も新しい作品を生み出している。

重要なのは、これが過去の遺跡ではないことだ。キンバリーでは、ワンジナの絵を描き直し、塗り直すことが、精霊を力づけ、雨を呼ぶための務めとされてきた。描き直しそのものが継承の一部なのである。数万年にわたって描き継がれ、今も生きている伝統として、アボリジナルの文化はしばしば「人類最古の継続する文化」と呼ばれる。
その伝統は、1788年のイギリスの入植(第一船団のボタニー湾到着)以後、大きく傷つけられた。土地は持ち主のいない土地とみなされて奪われ、人々は伝統の土地から引き離され、子どもたちは親から取り上げられた(盗まれた世代)。岩絵のある土地に立ち入れなくなった共同体も多い。1992年のマボ判決で、先住民がもともと土地への権利を持っていたことがようやく認められた。
岩絵は今も危険にさらされている。2020年、西オーストラリアのジューカン峡谷で、4万年以上前から人が使っていた岩陰の遺跡が、鉄鉱石の採掘のために爆破された。法的な許可は得ていたが、国内外から激しい批判を受け、鉱山会社の経営陣は辞任に追い込まれた。一方で、カカドゥ国立公園やウルル・カタ・ジュタ国立公園は世界遺産に登録され、伝統的な持ち主と国が共同で管理している。ウルルへの登山は、持ち主のアナング族の願いを受けて、2019年に禁止された。