ゾロアスターの教え
概要
善と悪の二つの原理が争い、人はどちらに与するかを選べる。死後に審判があり、最後に善が勝つ。この筋立ては、のちの一神教の終末観とよく似ている。
場所
36.76°N 66.90°E · アフガニスタン
関わった人(1)
ザラスシュトラ不明(BC1500年頃からBC600年頃まで諸説)–? · 説いた本文
世界には善い霊と悪い霊がいて、争っている。人はどちらの側に立つかを、自分で選ぶ。死んだあと、その選択によって裁かれ、世の終わりには善が勝つ。この筋立てを最初に説いたとされるのが、ザラスシュトラ、ギリシア語風にゾロアスターと呼ばれる人物である。
いつ、どこの人なのかが、まず分からない。本人の言葉とされるのは、ガーサーと呼ばれる17篇の歌だけで、後に聖典アヴェスターにまとめられた。その言葉は非常に古いイラン系の言語で書かれ、インドのヴェーダの成立の最古の讃歌とよく似ている。言語の近さから、紀元前1500年頃から1000年頃の人とする説がある。一方、古い伝承の計算から紀元前6世紀頃とする説もある。千年近い幅のどこに置くかは、いまも決着していない。この年表は、その幅をそのまま持たせてある。場所も、イランの東部から中央アジアのどこかとされ、バルフと結びつける伝承は後世のものになる。

ガーサーに描かれる世界は、牧畜の民の世界である。ザラスシュトラは自らを祭司と呼んでおり、当時の神々への祭りのあり方を批判したらしい。牛を守り、家畜を奪う者と戦う人々の言葉で、彼は語った。
教えの中心には、アフラ・マズダー(叡智の主)がいる。最高の善なる神で、その下で二つの霊が初めから対立している。ガーサーは、二つの霊を双子にたとえる。一方は善と真実を選び、もう一方は悪と偽りを選んだ。後の教義では、悪の霊はアンラ・マンユ(のちのアフリマン)と呼ばれ、善なる神の宿敵となる。

ここで問われるのは、人の側の選択である。人も二つの霊のように、真実の側に立つか偽りの側に立つかを選ばなければならない。善い思い、善い言葉、善い行い。この三つが、いまもゾロアスター教徒の基本の教えになっている。多くの古代の宗教が、祭りと供え物で神々の機嫌を取ることを中心に据えたのに対し、ここでは一人ひとりの心と行いが問われる。
死んだあとには裁きがある。魂は「選別者の橋」と呼ばれる橋を渡る。善い者には橋が広くなり、悪い者には刃のように細くなって、落ちていく。そして世の終わりに救済者が現れ、死者がよみがえり、最後の審判ののちに世界は作り直されて、悪は滅ぼされる。
この筋立ては、後の一神教の終末観とよく似ている。とくにユダヤ教は、バビロン捕囚を経てペルシアの支配下に入ったあと、天使と悪魔、死者の復活、最後の審判といった考えをはっきり持つようになる。ユダヤ人を捕囚から解放したキュロス2世は、旧約聖書で神に油を注がれた者と呼ばれている。ペルシアの宗教が影響を与えたとみる研究は多い。ただ、どこまでが影響で、どこまでが別々の発展なのかは、決着していない。

ゾロアスターの教えが、いつ王たちの宗教になったのかもはっきりしない。アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世は、碑文でアフラ・マズダーの恵みによって王になったと記している。だが、王たちがザラスシュトラの名を挙げたことはなく、彼らをゾロアスター教徒と呼んでよいかには議論がある。
はっきりと国の宗教になったのは、3世紀に始まるササン朝の時代である。祭司の組織が整えられ、口で伝えられてきた聖典が文字にまとめられた。各地に聖なる火を祀る神殿が置かれた。火は清らかさの象徴であり、火を拝んでいるのではないと信者は説明する。

7世紀にアラブの軍がササン朝を滅ぼすと、イランは数百年かけてイスラームの地になった。改宗しなかった人々の一部は、インド西部へ渡った。ペルシアから来た人という意味で、パールシーと呼ばれる。インドの近代の産業を担った商人の家に、パールシーの出身が多い。いま、信者は世界で十数万人ほどとされ、数は減り続けている。
信者は少なくなったが、教えの形は残った。善と悪の戦い、一人ひとりの選択、死後の裁き、世の終わりの救済。これらは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの語り方のなかに、名前を変えて生きているとも言える。ザラスシュトラが本当に何を語ったのかは、17篇の古い歌からしか分からない。