概要
国会を開けという民権の運動が全国に広がるなか、北海道の開拓使の施設を、同じ薩摩出身の商人に安く払い下げようとしたことが明るみに出て、政府は激しく非難された。1881年10月、政府はイギリス風の議会の早期開設を唱えていた大隈重信を追い出し、払い下げを取り消すとともに、九年後に国会を開くと天皇の名で約束する。憲法はドイツ風のものにすることが決まった。議会の時代は、政府の側が主導権を握る形で準備されていった。
場所
東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
払い下げの疑惑。
国会を開けという民権の運動が、全国に広がっていた。
(1)北海道の北海道開拓使の施設を、同じ薩摩出身の商人に安く払い下げようとした。
(2)そして、それが明るみに出て、政府は激しく非難された。
1881年10月。
政府は動いた。
(1)イギリス風の議会の早期開設を唱えていた大隈重信を追い出した。
(2)そして、払い下げを取り消した。
(3)さらに、九年後に国会を開くと、天皇の名で約束した。
残ること。
憲法は、ドイツ風のものにすることが決まった。
議会の時代は、政府の側が主導権を握る形で準備されていった。大日本帝国憲法の発布と第一回帝国議会は、この約束の結果である。