マヤ古典期
概要
独立した都市国家が競い合った。ゼロを含む数の体系と、南北アメリカで唯一の完全な文字を持つ。
場所
17.22°N -89.62°E · グアテマラ
関わった人(1)
パカル王AD603年3月23日–AD683年8月28日 · パレンケの王本文
マヤ古典期は、およそ紀元250年から900年まで、メキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス西部にかけての熱帯の低地で栄えた時代を指す。一つの帝国ではない。数十の都市国家が並び立ち、それぞれに王がいて、同盟し、戦い、王女を嫁がせて結びつきを作った。
マヤ文明の歴史はこの時代より古い。オルメカ文明の影響を受けながら、先古典期にはすでに大きな神殿を持つ都市が現れていた。古典期の特徴は、王が自分の事績を石碑に刻み、日付とともに残したことにある。そのおかげで、王の名前と即位の日、戦争の勝敗が、かなりの精度で分かる。

王は「聖なる王」と呼ばれ、神々と人々のあいだを取り持つ存在とされた。自らの血を捧げる儀礼を行い、神殿の上で祭りを執り行った。都市の中心には神殿ピラミッドと宮殿、ゴムのボールを腰で打ち合う球技場が並んだ。ティカルでいちばん高い神殿は、高さが約65メートルある。文字を書く書記は高い身分で、王族の出の者もいた。都市どうしは、カカオ、翡翠、黒曜石、ケツァール鳥の羽根などを交易していた。王族はカカオの飲み物を好み、墓からは「カカオ」と読める文字を記した器も見つかっている。
大都市の代表が、グアテマラのティカルと、メキシコ南部のカラクムルだ。二つの都市は古典期の大半を通じて覇権を争い、周りの都市をそれぞれの陣営に引き込んだ。562年、カラクムルと組んだカラコルがティカルを破り、ティカルはその後100年あまり大きな碑文を残さない時期に入る。カラクムルとティカルの戦争として知られる抗争だ。ティカルは7世紀末に盛り返し、695年にはカラクムルの王の軍を破っている。

外からの影響もあった。378年、メキシコ中央高原の巨大都市テオティワカンから来た人物がティカルに到着し、まもなく王朝が入れ替わったことが碑文から読み取れる。テオティワカンの隆盛の時代、その力は遠くマヤ地域にまで及んでいた。
西のパレンケでは、パカル王が615年に12歳で即位し、683年に死ぬまで約68年間在位した。その墓は碑文の神殿の地下にあり、1952年に考古学者が石棺を発見した。蓋の浮き彫りには、王が死の世界へ下る姿が描かれている。東南端のコパンには、王朝の歴史を2000を超える文字で刻んだコパンの階段碑文が残る。

マヤ文字は、南北アメリカで唯一、話し言葉を完全に書き表せる文字体系だった。単語を表す文字と音節を表す文字を組み合わせる。長いあいだ暦の部分しか読めなかったが、1950年代に旧ソ連のクノロゾフが音節を表す文字があると論じ、1960年にはプロスクリアコフが碑文は王の生涯を記した歴史記録だと示した。マヤ文字の解読は20世紀後半に急速に進み、いまでは碑文の大半が読めるとされる。
碑文のほかに、樹皮の紙に書いた折り本の書物もあったが、ほとんど残っていない。16世紀、ユカタンに来たスペインの修道士ランダが、異教の書物として大量に焼かせたことが知られている。現存するマヤの絵文書は4冊ほどで、いずれも古典期より後のものだ。皮肉なことに、ランダが書き残したマヤ語の記録は、後の解読の手がかりの一つになった。
暦と数学は特に発達した。数は二十進法で、ゼロを表す記号を持っていた。インドのブラーマグプタのゼロとは別に、独立にゼロの考えに到達している。マヤの長期暦は、紀元前3114年8月11日に相当する起点からの日数を位取りで数える暦で、何千年分もの日付を一つの通し番号で表せる。260日の儀礼暦と365日の暦を組み合わせ、約52年で一巡りする周期も使った。金星の動きを長期にわたって予測した表も残っている。
驚かされるのは、その条件だ。マヤの人々は鉄などの金属の道具をほとんど使わず、車輪を運搬に用いず、荷を引く大型の家畜もいなかった。石の道具と人の力で、高さ数十メートルの神殿を築いている。熱帯の森を切り開き、段々畑や盛り土の畑、貯水池を作って、大きな人口を養った。2018年に公表された航空レーザー測量では、森に覆われた地域に、それまで知られていなかった建物や道、畑の跡が数万か所見つかり、人口の推計は大きく引き上げられた。
8世紀末から9世紀にかけて、南部低地の都市は次々に石碑を刻まなくなり、人が去っていった。長期暦の日付を刻んだ最後の碑文は909年のものとされる。マヤ低地の崩壊の原因には、干ばつ、都市どうしの戦争の激化、人口の増えすぎによる環境の悪化などが挙げられ、一つに決まっていない。複数の要因が重なったと見るのが一般的だ。

マヤそのものが消えたわけではない。北部のユカタン半島ではチチェン・イッツァの繁栄の時代が続き、スペイン人が来た16世紀にもマヤの国々はあった。いまもグアテマラやメキシコには数百万人のマヤ語の話者が暮らしている。