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Event / できごと

正始の音(玄学の始まり)

Xuanxue of the Zhengshi era
AD240年
重要度 4

概要

魏の正始年間。何晏が『論語集解』、王弼が『老子注』『周易注』。「無を本とする」。儒教と老荘を一つに。清談。王弼は24歳で死に、何晏は司馬懿に殺された。竹林の七賢が続いた。中国の哲学は、200年、「無」を語った。

場所

洛陽
34.62°N 112.45°E · 中国・河南省

関わった人(2)

王弼AD226年–AD249年 · 老子注何晏AD195年–AD249年 · 論語集解

本文

魏の斉王芳の正始年間(240〜249年)。曹爽が政権を持ち、何晏が吏部尚書。洛陽の若い貴族が集まって、『老子』『荘子』『周易』を語った。「三玄」。清談。玄学。

何晏は『論語集解』と『道徳論』。「天地万物はみな無を本とする」。王弼は20歳で『老子注』と『周易注』を書いた。「聖人は無を体現する。無は説けない。だから聖人は有を語り、老子は無を説いてやまなかった。老子は有の側の人だ」。何晏は王弼の『老子注』を読んで、自分の注を捨てて『道徳論』に書き直した。

「言は意を尽くさず」。王弼の『周易略例』は「意を得て象を忘れ、象を得て言を忘れる」。言葉は筌(魚を取る籠)で、魚を取ったら籠は忘れる。1800年のあと、中国の詩論も画論も禅もこれを使った。

儒教は漢代に讖緯(予言)と経学(注釈の注釈)で息苦しくなっていた。玄学は、孔子を否定せず、孔子を「無を体現した聖人」に読み替えて、老荘と一つにした。名教(儒教の秩序)と自然は矛盾しない、と。

249年、司馬懿が高平陵のクーデターで曹爽を殺した。何晏も殺された。三族。王弼は同じ年、病気で死んだ。24歳。「正始の音」は10年で消えて、次の世代の竹林の七賢は、名教と自然は矛盾する、と言って酒を飲んだ。

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