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Event / できごと

ブラーマグプタのゼロ

Brahmagupta defines zero
AD628年
重要度 5

概要

『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』。ゼロを数として扱い、負の数(借金)を含む計算の規則を書いた最初の本。「ゼロを足しても引いても変わらない」「借金から借金を引くと財産になる」「ゼロで割ると……」(この最後だけ、彼は答えを出せなかった)。10進の位取りと、この規則が、8世紀にバグダードへ、12世紀にヨーロッパへ渡って、いまの数字になった。

場所

ウッジャイン
23.18°N 75.78°E · インド(グプタ朝の学術の中心)

関わった人(1)

ブラーマグプタAD598年–AD668年 · 書いた

本文

ゼロ。「何もない」ことを示す記号は、古代から複数の文明にあった(バビロニアの空位の記号、マヤの貝の記号)。しかし、それを「数」として、他の数と同じように足し引きし、掛け割る対象にすることは、別のことだった。

インド。ブラーフミー数字(BC3世紀)から、位取りの記法へ。458年の『ローカヴィバーガ』(ジャイナ教の宇宙論)に、位取りとゼロの使用がある。628年、ブラーマグプタ。

『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ(正しく確立されたブラフマーの教説)』。25章、1008の詩節。サンスクリットの韻文(当時のインドの数学と天文学は、暗誦のために詩で書かれた)。ウッジャイン(マールワの都、天文学の中心)で書かれた。

第18章「クッタカ(粉砕器=不定方程式)」に、ゼロと負の数の規則がある。「財産(正)」「借金(負)」「無(ゼロ)」の言葉で書かれている。

「借金から無を引くと借金である。財産から無を引くと財産である。無から無を引くと無である」。 「無から借金を引くと財産である。無から財産を引くと借金である」(−(−a)=+a)。 「二つの財産の積、または二つの借金の積は、財産である。財産と借金の積は、借金である」(正×正=正、負×負=正、正×負=負)。 「無と借金の積、無と財産の積、無と無の積は、無である」。 「無を無で割ると、無である」(これは間違い)。 「財産または借金を無で割ると、分母が無である分数になる」(つまり、答えを出さずに、そのまま書いた)。

500年後、バースカラ2世(1150年、『リーラーヴァティー』と『ビージャガニタ』)が、これを進めた。「a÷0は無限である。無限に、足しても引いても、無限のまま。それは、万物が生まれ、万物が帰る、無限の神のようである」。

他の内容。二次方程式の一般解(負の根も認めた。ヨーロッパは17世紀まで負の根を「偽の根」と呼んだ)。円に内接する四辺形の面積の公式(ブラーマグプタの公式。ヘロンの公式の一般化)。ペル方程式(x²−Ny²=1)の解法の一部(「チャクラヴァーラ法」の先駆。ヨーロッパはフェルマーとオイラーの17〜18世紀)。1次不定方程式。三角形の面積。天文(日食と月食の計算、惑星の合、地球は球で、周囲は5000ヨージャナ)。

伝播。771年(あるいは773年)、シンド地方からの使節が、バグダードのカリフ・マンスールの宮廷に、インドの天文書を持って来た。アラビア語に訳されて『シンドヒンド』と呼ばれた。それがブラーマグプタの本(かその系統のもの)。フワーリズミーがそれを読んで、『インドの数の計算について』を書いた。12世紀、ラテン語訳。

ヨーロッパ。1202年、フィボナッチ『算板の書』。彼は北アフリカのブジーで育ち、アラビア数字を学んだ。「これらの9つの数字と、アラビア人がゼフィルムと呼ぶ記号0で、どんな数も書ける」。ゼフィルム、ゼフィロ、ゼロ。

ブラーマグプタは、後の数学者スカンダセーナやアーリヤバタを厳しく批判する詩を書いた(当時の学問は、論敵を名指しで攻撃する形式を取った)。彼自身の答えの一部も、後の人に直された。「ゼロをゼロで割ると、ゼロ」は、その一つ。

同じ時代のできごと

大運河の完成AD609年ヘラクレイオスの治世610年薩水の戦いAD612年コルンバヌスのボッビオAD614年唐の成立AD618年ヒジュラ(聖遷)AD622年イシドルス『語源』AD630年頃ウフドの戦いAD625年3月