オリゲネス『諸原理について』
概要
キリスト教の神学を体系として書いた最初の本。神、世界、自由意志、聖書の読み方。すべての魂は最後に神に帰る、と書いた。その部分が300年後に異端にされ、本はラテン語訳でしか残っていない。
場所
31.20°N 29.92°E · エジプト
関わった人(1)
オリゲネスAD185年頃–AD253年頃 · 著者本文
3世紀のはじめ、キリスト教はまだローマ帝国で認められた宗教ではなく、ときに激しい迫害を受けていた。教会には聖書と、洗礼のときに唱える簡単な信仰の言葉はあったが、神とは何か、世界はなぜあるのか、人はなぜ悪をなすのか、といった問いに筋道立てて答える書物は無かった。そうした問いを長く論じてきたのは、ギリシアの哲学者たちである。その学問の中心の一つが、エジプトのアレクサンドリア建設以来の大都市アレクサンドリアだった。
オリゲネスは185年ごろ、この町のキリスト教徒の家に生まれた。202年、父レオニデスが迫害で殺された。教会史家エウセビオスによれば、十代のオリゲネスは自分も殉教しようとして家を出かかり、母が服を隠して引き止めた。彼は獄中の父に、自分たちのために信仰を曲げないでほしいと手紙を書いたという。父の財産は没収され、彼は教えることで母と弟たちを養った。

18歳ほどで、アレクサンドリアの教会の教理学校で教えるようになった。床に寝て、裸足で歩き、わずかな食事で暮らしたと伝えられる。エウセビオスは、彼が福音書の「天の国のために自ら去勢した者」という言葉を文字どおりに受け取り、自分の体に実行したとも書いている。ただし、本人は後年の著作でその種の字義どおりの読み方を戒めており、この話を疑う研究者もいる。
オリゲネスはギリシア哲学を学び、ヘブライ語にも手をつけた。旧約聖書のヘブライ語本文、その発音をギリシア文字で写したもの、そして四つのギリシア語訳を六つの欄に並べて見比べられるようにした『ヘクサプラ』は、彼が長い年月をかけた仕事である。全体は残らず、断片が伝わるだけだが、聖書の本文を比べて確かめるという作業の先駆けとされる。
『諸原理について』(ギリシア語で『ペリ・アルコーン』)は、220年代から230年ごろ、彼がまだアレクサンドリアにいたころに書かれた。四巻からなり、第1巻は神とキリストと聖霊、天使について、第2巻は世界と人間、第3巻は自由意志、第4巻は聖書の読み方を論じる。教会が受け継いできた信仰の言葉を土台に置き、そこに書かれていない点は理性で考えてよい、というのが彼の立て方だった。キリスト教の教えを一つの体系として書こうとした最初の書物とされる。
内容には、のちの教会から見て大胆な考えが含まれていた。魂は体を得る前から存在し、神から離れた度合いに応じて天使にも人にもなった。世界は罰の場ではなく、魂が教え導かれて神のもとへ戻るための場である。そして最後には、すべての被造物が神のもとに帰る(アポカタスタシス)。悪魔まで救われるのかという問いは当時から議論になり、彼自身はそう言ったことはないと手紙で否定したとも伝えられる。また、聖書には人の体・魂・霊に対応する三つの読み方、つまり字の意味、生き方の教え、霊的な意味があるとした。この読み方は、のちの聖書解釈に長く影響を与えた。
アレクサンドリアの司教デメトリオスとは、しだいに対立が深まった。230年ごろ、オリゲネスは旅先のパレスチナで司祭に叙されたが、それが自分の許しなく行われたとして、デメトリオスは彼を教会から退けた。オリゲネスはパレスチナのカイサリアに移り、そこで学校を開いて教え、聖書の注解や説教を書き続けた。
250年、皇帝デキウスが帝国の全住民に神々への供犠を命じ、従わないキリスト教徒への迫害が始まった。オリゲネスは捕らえられ、鉄の首枷をはめられ、拷問を受けたが、殺されずに生き延びた。エウセビオスによれば、迫害が終わって出獄したのち、数年後に69歳で亡くなった。253年ごろとされる。
彼の死後、教会は三位一体やキリストの本性をめぐって争い続けた。4世紀のニケーア公会議の前後には、対立する双方がオリゲネスの言葉を引いた。彼の書き方には、子なるキリストを父なる神より下に置くようにも読める箇所があったからである。4世紀末にはオリゲネスの評判をめぐる激しい論争が起き、6世紀には皇帝ユスティニアヌス1世が543年の勅令で彼の説を断罪した。553年のコンスタンティノープル公会議もオリゲネス派の説を退けたとされるが、その断罪がどこまでオリゲネス本人の考えを指していたのかは、研究者のあいだで議論がある。

断罪の結果、彼のギリシア語の著作の多くは失われた。『諸原理について』の全体は、398年に修道士ルフィヌスが作ったラテン語訳でしか残っていない。ルフィヌスは序文で、異端の者に書き換えられた箇所は改めたと断っている。同じころヒエロニムスはもっと字義に忠実な訳を作ったが、それは失われた。ギリシア語の原文は、第3巻と第4巻の一部が、4世紀の教父たちの抜粋集に残るだけである。何がオリゲネス自身の言葉で、何が訳者の手で和らげられたのかは、いまも細かく比べながら読むしかない。