『原論』
概要
定義と公理を先に置き、そこから証明を積み上げる。この書き方が数学の作法として2000年以上使われた。
場所
31.20°N 29.92°E · エジプト
関わった人(1)
エウクレイデスBC4世紀後半(生没年は伝わっていない)–? · 著者本文
紀元前4世紀の終わり、アレクサンドロスの死後にエジプトを手に入れたプトレマイオス1世は、新しい都アレクサンドリア(アレクサンドリア建設)に、学者を集める研究の場ムセイオンと、巨大な図書館(アレクサンドリアの図書館)を作った。ギリシア世界の各地から学者が招かれた。その中に、数学者エウクレイデスがいた。
エウクレイデス本人については、ほとんど何も分かっていない。生まれた年も死んだ年も、どこで学んだのかも不明で、アテナイのプラトンのアカデメイアの流れをくむ人だったろうと推測されているだけだ。後の時代の学者が書き残した逸話が、わずかに伝わる。王プトレマイオスが、幾何学を学ぶのにもっと近道はないのかと尋ねると、幾何学に王の道はありません、と答えた。また、学び始めた若者が、これを学んで何の得になるのかと聞くと、召使いを呼んで、この男に銅貨を一枚やりなさい、学んだことで得をしなければ気がすまないようだから、と言ったという。どちらも後世の作り話かもしれない。

彼の名を後世に残したのが、『原論』だった。13巻からなる。最初の6巻は平面の図形、続く3巻は数の性質、第10巻は互いに割り切れない比をもつ量、最後の3巻は立体を扱う。そして全体の最後は、正多面体が5種類しかないことの証明で締めくくられる。
内容の多くは、それ以前から知られていたものだった。ピュタゴラスの名で知られる直角三角形の定理は、第1巻の終わり近くに置かれている。比例の理論はプラトンの学園にいたエウドクソスの、正多面体の研究はテアイテトスの仕事を受け継いだものと考えられている。エウクレイデスの新しさは、その並べ方にあった。

第1巻は、23の定義から始まる。点とは部分を持たないものである。線とは幅の無い長さである。そんなものは、現実の世界には無い。紙に描いた点には大きさがあり、線には幅がある。それでも、そう決めるところから始める。続いて、5つの公準が置かれる。任意の点から任意の点へ直線を引けること。すべての直角は互いに等しいこと。そして、5つの共通の考え、たとえば、全体は部分より大きい、といったことが掲げられる。
何を前提として認め、そこから何が導けるか。エウクレイデスは、前提を最初にすべて並べ、そこから一歩ずつ、すでに証明したことだけを使って次の命題を証明していった。第1巻の最初の命題は、与えられた線分の上に正三角形を作ることだった。そこから積み上げて、13巻で465の命題に達する。素数が無限にあることの証明、二つの数の最大公約数を求める手順など、いまも使われる議論がその中に含まれている。

ただ一つ、5番目の公準だけが、ほかと比べて長く複雑だった。一本の直線が二本の直線と交わり、同じ側の内角の和が二直角より小さいならば、二本の直線はその側で交わる。平行線についての公準である。これは公準として認めるのではなく、ほかの公準から証明できるはずだ。多くの数学者がそう考え、2000年にわたって挑み続けた。古代の注釈者、イスラーム世界のオマル・ハイヤームやイブン・アル=ハイサム、18世紀のイタリアの神父。誰も成功しなかった。
19世紀、ロシアのロバチェフスキー、ハンガリーのボヤイらが、発想を逆にした。第5公準を否定しても、矛盾の無い幾何学が作れる。そこでは三角形の内角の和は二直角より小さくなる。続いてドイツのリーマンが、さらに一般的な曲がった空間の幾何学を考えた。非ユークリッド幾何学の誕生である。第5公準は、証明できない公準だった。エウクレイデスがそれを公準として置いたのは、正しかったことになる。20世紀の初め、アインシュタインは、重力を時空の曲がりとして説明する一般相対性理論に、この曲がった空間の幾何学を使った。
『原論』は、2000年以上にわたって数学の教科書であり続けた。4世紀にはアレクサンドリアの学者テオンが編集し直した版が作られ、それが後の写本の多くのもとになった。9世紀にはバグダードの知恵の館の時代のバグダードでアラビア語に訳され、12世紀にはそのアラビア語訳からラテン語に訳されて、ヨーロッパの大学で学ばれた。1482年にはヴェネツィアで印刷され、その後、聖書に次いで多くの版を重ねた本の一つと言われる。1607年には、イエズス会の宣教師と明の学者が最初の6巻を漢文に訳し、『幾何原本』と題した。日本語の「幾何」という言葉は、ここから来ている。

この書き方は、数学の外にも影響を与えた。ニュートンの『プリンキピア』は、定義と公理を最初に掲げる形で書かれ、スピノザは倫理学を『原論』と同じ形式で書いた。アメリカ独立宣言の「我々は以下の真理を自明のものと考える」という書き出しにも、公理から論を立てる形の響きを聞き取る人がいる。
エイブラハム・リンカーンは、連邦下院議員を一期務めたあと、弁護士として働きながら『原論』の最初の6巻を学び、ほぼ身につけたと自伝の覚え書きに書いている。「証明する」とはどういうことかを知りたかったからだ、と語ったとも伝えられる。自明なことから出発し、誰も否定できない手順で結論にたどり着く。それは数学の作法であると同時に、人を説得する論証の手本でもあった。