一般相対性理論
概要
プロイセン科学アカデミーで4回の講義の最後。重力は力でなく、質量が時空を曲げ、物はその曲がりに沿って動く。8年考えた。水星の近日点のずれ(43秒)が式から出て、アインシュタインは動悸がした。1919年、エディントンが日食で星の光が太陽で曲がるのを測り、『タイムズ』が「科学の革命」。一夜で世界一有名な科学者。GPSはこの理論で補正している。
場所
52.52°N 13.40°E · ドイツ
関わった人(1)
アインシュタインAD1879年3月14日–AD1955年4月18日 · 発表した本文
1915年11月25日、ベルリンのプロイセン科学アカデミーで、アインシュタインは重力の新しい理論の最終的な方程式を発表した。毎週木曜日に4回続けた講演の最後だった。重力は、離れた物どうしが引き合う「力」ではない。質量やエネルギーが周りの時空をゆがめ、物はそのゆがみに沿ってまっすぐ進もうとして、結果として曲がった道筋を描く。リンゴが落ちるのも、地球が太陽の周りを回るのも、そのためだ。ニュートン以来200年あまり物理学の土台だった重力の見方が、ここで根本から書き換えられた。
出発点は10年前にある。1905年、スイスの特許局の職員だったアインシュタインは、特殊相対性理論を発表した(アインシュタインの奇跡の年)。光の速さはどんな観測者から見ても同じで、そのために時間の進み方や物の長さは見る者の動きによって変わる、という理論である。だがこの理論は、一定の速さで動く場合だけを扱い、重力を含んでいなかった。アイザック・ニュートンの重力の法則(『プリンキピア』)では、重力は離れた物の間に一瞬で伝わる。何ものも光より速く伝わらないという特殊相対性理論とは、相いれなかった。

1907年のある日、特許局の椅子に座っていたアインシュタインの頭に、一つの考えが浮かんだ。屋根から落ちている人は、落ちているあいだ自分の重さを感じないだろう。彼はのちにこれを、人生で最も幸福な考えだったと語っている。窓のない箱の中にいる人は、箱が地球の上に置かれているのか、宇宙空間で加速しているのかを区別できない。重力と加速は、本質的に同じものだ。この「等価原理」から、彼は、重力のもとでは光も曲がり、時間の進み方も変わるはずだと考え始めた。
だが、それを理論の形にするのは途方もなく難しかった。曲がった時空を扱うには、19世紀にリーマンらが作った、曲がった空間の幾何学が必要だった。物理学者のアインシュタインは、その数学に通じていなかった。1912年、彼はチューリヒ時代の大学の同級生で数学者のグロスマンに助けを求め、ともに理論を組み立てた。1913年に二人が発表した「草案」の理論は、しかし正しくなかった。アインシュタインは自分の作った方程式の欠陥に、2年近く気づかなかった。
1914年、アインシュタインはベルリンに移った。まもなく第一次世界大戦が始まり、妻と子どもたちはスイスに戻って、彼は一人でベルリンに残った。1915年の夏、ゲッティンゲン大学で講演した彼は、当代一の数学者ヒルベルトがこの問題に強い関心を持ったことを知る。秋、アインシュタインは「草案」の誤りを悟り、猛然と方程式を作り直し始めた。11月の講演は、毎週、前の週の式を手直ししながら進められた。同じころヒルベルトも独自に重力の方程式に迫っており、二人の間には競争の緊張があった。ヒルベルトの論文はアインシュタインの最終講演の5日前に投稿されたが、のちに見つかった校正刷りからは、最初の版には最終的な形の方程式が含まれていなかったことが分かっている。

11月18日の講演で、アインシュタインは新しい理論の最初の大きな手柄を示した。水星の軌道の問題である。水星が太陽に最も近づく点は、少しずつずれていく。その大部分は他の惑星の引力で説明できたが、100年に43秒角という、ごくわずかなずれだけは、ニュートンの理論ではどうしても説明できなかった。アインシュタインの方程式からは、まさにその値が出てきた。彼は友人への手紙で、何日も興奮のあまり我を忘れていたと書いている。
最終的な方程式は、一行の式にまとめられる。式の左側は時空の曲がり方を、右側はそこにある物質とエネルギーを表す。のちにアメリカの物理学者ホイーラーは、これを、物質は時空にどう曲がるかを教え、時空は物質にどう動くかを教える、と言い表した。

理論はさらに大胆な予言をしていた。光は重い物のそばを通ると曲がる。太陽の縁をかすめる星の光は、1.75秒角だけ曲がるはずだ。重力の強いところでは時間がゆっくり進む。この予言を確かめる機会は、皆既日食だった。太陽が月に隠れているあいだだけ、太陽のすぐそばの星を写真に撮れるからだ。
1919年5月29日の皆既日食に、イギリスは二つの観測隊を送った。天文学者エディントンはアフリカ西岸のプリンシペ島へ、もう一隊はブラジルのソブラルへ向かった。戦争が終わって半年、敵国ドイツの学者の理論を、イギリスの学者が確かめに行ったのである。11月6日、ロンドンで王立協会と王立天文学会の合同会議が開かれ、星の光は太陽によってアインシュタインの予言どおりに曲げられていた、と発表された。会場の壁にはニュートンの肖像が掛かっていた。翌日のロンドンの『タイムズ』は、科学の革命、宇宙の新しい理論、ニュートンの考えは覆された、と見出しを掲げた。40歳のアインシュタインは、一夜にして世界で最も有名な科学者になった。もっとも、当時の観測の精度は十分とは言えず、測定の扱いをめぐっては後に疑問も出された。結果がはっきり確かめられたのは、その後の観測の積み重ねによってである。
一般相対性理論は、生みの親の想像さえ超えた世界を開いた。1916年、ドイツの天文学者シュヴァルツシルトは、従軍していた東部戦線で方程式の厳密な解を見つけ、アインシュタインに送った。その解は、のちにブラックホールと呼ばれる天体を含んでいた(ブラックホールの撮影)。シュヴァルツシルトはその年のうちに、戦地でかかった病で死んだ。1917年、アインシュタインはこの理論を宇宙全体に当てはめたが、宇宙が膨張か収縮をしてしまう答えが出るのを嫌って、方程式に「宇宙項」を付け足し、宇宙を止めた。1929年、ハッブルが銀河の観測から宇宙が膨張していることを示すと(宇宙が膨張している)、彼は宇宙項を取り下げ、物理学者ガモフによれば、それを人生最大の失敗と呼んだという。ところが1998年、宇宙の膨張が加速していることが分かり、宇宙項に似たものが本当に必要かもしれないと見直されることになった。

アインシュタインが1916年に予言した重力の波、つまり時空のさざ波は、あまりに弱く、彼自身も検出は不可能だろうと考えていた。それがついに捉えられたのは2015年9月、遠い宇宙で二つのブラックホールが合体したときの波だった(重力波の初検出)。理論の発表からちょうど100年後のことだった。
この理論は、今では私たちの日常にも入り込んでいる。カーナビやスマートフォンの位置を教えるGPSの衛星は、地上より重力の弱い高いところを回っているため、衛星の時計は地上より1日におよそ45マイクロ秒速く進む。一方、高速で動いているせいで、特殊相対性理論の効果によって1日に7マイクロ秒ほど遅れる。差し引きのずれを補正しなければ、位置の誤差は1日に10キロほども積み重なってしまう。重力が時空のゆがみであるということは、ポケットの中の機械が毎日、確かめ続けている。