概要
ロシアの革命のあと、捕らえられていたチェコの軍団を救うという名目で、1918年、アメリカ、イギリス、フランス、日本がシベリアに兵を送った。日本は約束の数をはるかに超える七万を送り込み、勢力を広げようとする。革命のパルチザンとの戦いは泥沼になり、ニコラエフスクでは日本人の居留民が殺される事件も起きた。各国が兵を引いたあとも日本は居座り、撤兵したのは1922年だった。得たものは無く、多くの死者と費用と、国際的な不信が残った。
場所
ウラジオストク
43.12°N 131.88°E · ロシア
43.12°N 131.88°E · ロシア
本文
救出の名目。
ロシアの革命のあと。
(1)捕らえられていたチェコの軍団を救うという名目で。
(2)そして、1918年、アメリカ、イギリス、フランス、日本がシベリアに兵を送った。
約束を超える兵。
日本は、約束の数をはるかに超える七万を送り込んだ。
(1)勢力を広げようとした。
(2)そして、革命のパルチザンとの戦いは泥沼になった。
(3)さらに、出兵を見越した米の買い占めが、米騒動を招いた。
残ること。
各国が兵を引いたあとも、日本は居座った。
撤兵したのは1922年だった。得たものは無く、多くの死者と費用と、国際的な不信が残った。