概要
明治の政府は、不平等条約を改めるため、西洋にならった法典を急いだ。フランスの法学者ボアソナードが起草した民法は1890年に公布されたが、「民法出でて忠孝亡ぶ」と、日本の家族の道徳を壊すとの反対が起き、施行は延ばされた。日本の学者が書き直した新しい民法は、1898年7月16日に全体が施行される。家族は「家」の単位でまとめられ、家の長である戸主が、家族の結婚や住む場所に同意する権限を持った。家の財産と地位は、原則として長男がひとりで継いだ。妻は、重い取引をするのに夫の許しが要った。家制度は、1947年に日本国憲法のもとで民法が改められるまで続いた。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
幕末に結んだ不平等条約のもとで、日本に住む外国人は日本の法で裁かれなかった。条約を改めるには、日本が西洋と同じような法典を持つ国だと示さなければならなかった。明治の政府は、フランスから法学者ボアソナードを招き、刑法や民法の起草を任せた。ナポレオン法典を手本にした民法は、1890年に公布され、1893年から施行される予定だった。
ところが、施行の前に激しい論争が起きた。家族の財産を個人のものとし、夫婦や親子を対等な個人の間の約束のように扱う民法は、日本の家族の道徳にそぐわない、という反対である。法学者の穂積八束は「民法出でて忠孝亡ぶ」と書いた。一方で、すぐに施行すべきだという人々もいて、法学者たちは二つに割れた。1892年、議会は施行を延ばすことを決めた。
新しい民法は、穂積陳重、富井政章、梅謙次郎の三人の学者が、ドイツの民法の草案なども参照して書き直した。財産や契約の部分は1896年に、家族と相続の部分は1898年に公布され、1898年7月16日に全体が施行された。
家族と相続の部分は、「家」を軸に組み立てられた。人はみな、どれかの家に属し、家の長である戸主のもとにいる。戸主は、家族が結婚したり養子になったりするのに同意を与え、住む場所を指定することができた。戸主の地位と家の財産は、家督相続として、原則として長男ひとりが受け継いだ。妻は夫の家に入り、財産を処分するような重い行いをするには、夫の許しが要った。男は30歳、女は25歳になるまで、結婚に父母の同意が必要だった。
家制度は、農家や商家の跡継ぎの仕組みを支え、国を一つの大きな家にたとえる考えとも結びついた。戦後、日本国憲法の24条が、結婚は両性の合意のみに基づき、夫婦は同じ権利を持つと定めると、1947年、民法の家族と相続の部分は全面的に書き改められ、戸主も家督相続も消えた。それでも、夫婦が同じ氏を名乗る決まりなどは、いまも残っている。