概要
1890年代のニューヨークでは、ピュリツァーの『ワールド』とハーストの『ジャーナル』が、部数を競って、犯罪、醜聞、大きな見出し、色刷りの漫画で読者を奪い合っていた。人気の漫画の黄色い服の少年から、この手の新聞は「イエロー・ジャーナリズム」と呼ばれた。1898年2月15日、キューバのハバナの港でアメリカの軍艦メイン号が爆発して沈むと、両紙はスペインの仕業と決めつけて書き立て、「メイン号を忘れるな」と叫んだ。原因ははっきりしないまま、アメリカはスペインとの戦争に踏み切った。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
19世紀の末、アメリカの都市には移民が押し寄せ、字を覚えたばかりの人々が新聞を買うようになった。輪転機と安い木材の紙で、新聞は一部1セントで大量に刷れるようになる。ジョーゼフ・ピュリツァーの『ワールド』は、犯罪や事故や醜聞を大きな見出しと挿絵で伝え、日曜版に色刷りの漫画を付けて、数十万部を売った。
1895年、西部の鉱山王の息子ウィリアム・ランドルフ・ハーストがニューヨークの『ジャーナル』を買い取り、ピュリツァーの記者や漫画家を高い給料で引き抜いた。人気の漫画「イエロー・キッド」は、黄色い寝間着の少年の話で、両紙がそれぞれ別の画家に描かせた。この競争から、扇情的な新聞を「イエロー・ジャーナリズム」と呼ぶようになる。
このころ、スペインの植民地キューバでは独立の戦いが続いており、両紙はスペインの残虐さを、ときには作り話を交えて書き立てていた。ハーストが、戦争の絵を描かせるために送った画家に「君は絵を用意しろ、戦争は私が用意する」と電報を打ったという話は有名だが、確かな証拠は無い。1898年2月15日、ハバナの港でアメリカの軍艦メイン号が爆発し、260人を超える乗組員が死んだ。両紙はスペインの機雷の仕業と決めつけ、「メイン号を忘れるな」と叫んだ。
4月、アメリカはスペインに宣戦し、米西戦争は数か月でアメリカの勝ちに終わった。キューバとフィリピンとプエルトリコは、アメリカの手に移る。メイン号の爆発の原因は、のちの調べで、船の中の石炭の火事が弾薬庫に移った可能性が高いとされている。新聞が戦争を作ったと言うのは言い過ぎだとしても、新聞が世論を煽る力の大きさは、このとき誰の目にも明らかになった。ピュリツァーはのちに、その遺産で報道の賞を作った。