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Event / できごと

セミパラチンスク核実験場の閉鎖

Semipalatinsk Test Site
AD1991年8月29日
重要度 3
ソビエト連邦中国インドモンゴルサウジアラビアイランチベットエジプトパキスタントルコアフガニスタンビルマイラクオマーンシリアネパールアラブ首長国連邦ヨルダンAD1991年8月29日セミパラチンスク核実験場(位置は特定されていない)
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1991年8月29日の版図を描いています(18勢力)。

概要

ソ連は1949年から40年にわたり、カザフスタンの東の草原に設けた実験場で、四百回を超える核実験を行った。最初の十数年は空中や地表での爆発で、風下の村の人々には、何も知らされないまま放射能が降った。がんや生まれつきの障害が多いことは、長く伏せられていた。1989年、詩人オルジャス・スレイメノフが呼びかけた核実験に反対する運動は、数十万人の署名を集めた。1991年8月29日、ソ連の崩壊が迫るなか、カザフの指導者ナザルバエフは実験場を閉じた。カザフスタンは独立後、引き継いだ核兵器をすべて手放している。

場所

セミパラチンスク核実験場位置は特定されていない(誤差 ±km)
50.07°N 78.43°E · カザフスタン東部

本文

1949年8月29日、ソ連はカザフスタンの東の草原で、最初の原子爆弾を爆発させた。アメリカに4年遅れて、核兵器を持つ国になったのである。実験場は、町から離れた広い草原が選ばれたが、周りには村があり、遊牧の人々が暮らしていた。

それから1989年まで、この実験場では456回の核実験が行われた。1962年までは、空中や地表での爆発が百回を超える。風下の村の人々には、何も知らされなかった。爆発のときに外に出るよう言われた村もあったと証言されている。放射性の物質が村々に降り、がん、白血病、生まれつきの障害が多く見られるようになった。医師の記録は秘密とされ、病の原因は長く明らかにされなかった。被曝した人は数十万人から百万人を超えると推計されている。

1989年2月、地下の実験で放射性のガスが漏れたことが明らかになると、カザフの詩人オルジャス・スレイメノフは、テレビの番組で集会を呼びかけた。「ネバダ・セミパラチンスク運動」である。アメリカの実験場の周りの人々とも手を結び、実験の中止を求める署名は百万を超えたとも言われる。ゴルバチョフの開かれた政治のもとで、ソ連の中でも、核への抗議が声になったのだった。1989年10月の実験が、ここでの最後になった。

1991年8月29日、最初の実験からちょうど42年目の日に、カザフの指導者ナザルバエフは、実験場を閉じる命令を出した。モスクワのクーデターが失敗した直後で、ソ連の解体が目前だった。独立したカザフスタンは、国内に残った千を超える核弾頭を持てば世界で4番目の核の国になるところだったが、すべてをロシアに移し、核を持たない国として核拡散防止条約に入った。8月29日は、国連の「核実験に反対する国際デー」になっている。

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