概要
ソ連は1949年から40年にわたり、カザフスタンの東の草原に設けた実験場で、四百回を超える核実験を行った。最初の十数年は空中や地表での爆発で、風下の村の人々には、何も知らされないまま放射能が降った。がんや生まれつきの障害が多いことは、長く伏せられていた。1989年、詩人オルジャス・スレイメノフが呼びかけた核実験に反対する運動は、数十万人の署名を集めた。1991年8月29日、ソ連の崩壊が迫るなか、カザフの指導者ナザルバエフは実験場を閉じた。カザフスタンは独立後、引き継いだ核兵器をすべて手放している。
場所
50.07°N 78.43°E · カザフスタン東部
本文
1949年8月29日、ソ連はカザフスタンの東の草原で、最初の原子爆弾を爆発させた。アメリカに4年遅れて、核兵器を持つ国になったのである。実験場は、町から離れた広い草原が選ばれたが、周りには村があり、遊牧の人々が暮らしていた。
それから1989年まで、この実験場では456回の核実験が行われた。1962年までは、空中や地表での爆発が百回を超える。風下の村の人々には、何も知らされなかった。爆発のときに外に出るよう言われた村もあったと証言されている。放射性の物質が村々に降り、がん、白血病、生まれつきの障害が多く見られるようになった。医師の記録は秘密とされ、病の原因は長く明らかにされなかった。被曝した人は数十万人から百万人を超えると推計されている。
1989年2月、地下の実験で放射性のガスが漏れたことが明らかになると、カザフの詩人オルジャス・スレイメノフは、テレビの番組で集会を呼びかけた。「ネバダ・セミパラチンスク運動」である。アメリカの実験場の周りの人々とも手を結び、実験の中止を求める署名は百万を超えたとも言われる。ゴルバチョフの開かれた政治のもとで、ソ連の中でも、核への抗議が声になったのだった。1989年10月の実験が、ここでの最後になった。
1991年8月29日、最初の実験からちょうど42年目の日に、カザフの指導者ナザルバエフは、実験場を閉じる命令を出した。モスクワのクーデターが失敗した直後で、ソ連の解体が目前だった。独立したカザフスタンは、国内に残った千を超える核弾頭を持てば世界で4番目の核の国になるところだったが、すべてをロシアに移し、核を持たない国として核拡散防止条約に入った。8月29日は、国連の「核実験に反対する国際デー」になっている。